2024年4月26日(金)

土のうた 「ひととき」より

2016年5月28日

変わり続ける

みはら けん/1958年、島根県出雲市生まれ。
大学時代に陶芸に出合い、81年、布志名焼(ふじなやき)の舩木研児氏に師事。2年後に独立し、現在、宍道町の工房を拠点として作陶を続ける。

 三原研は1958年、島根県簸川(ひかわ)郡(現出雲市)佐田町に生まれた。生家そばに須佐之男命(すさのおのみこと)終焉の地という須佐神社があり、日本神話のふるさとどまんなかである。小さい頃はひととのコミュニケーションが苦手だった。その少年がいま、深い普遍的な空間を創り出す。メトロポリタン美術館を始め、内外32の美術館に作品が収蔵される作家である。

 「数学と美術しかできないんです」

 「レオナルド・ダ・ヴィンチかしら」

 「まあ、へんたら(出雲弁で偏屈者の意)ですね。『少年ジャンプ』をたまに買って、一生懸命写す。風景画も好きで画家になりたかった。でも食べていけっこない。田中角栄の国土開発時代だったので、土木工学に」

 大学の陶芸サークルがすべての始まりだ。4年の夏には中退し、民芸陶の舩木研児(ふなきけんじ)に師事。2年後独立し、負傷した手の療養中、東京の画廊巡りで純粋美術の陶芸に目覚める。日本陶磁協会賞を受賞する50歳までが公募展荒らしの時代。その間、34歳で装飾を捨て、炻器(せっき)というフォルムと質感による表現を拓く。出雲の神器のような「静寂」で地歩を築き、2005年のイタリア行脚の体験を経て、折り紙様式「起源」を立ち上げた。

大地になじむ「起源」シリーズの器

 「北から最南端のシチリアまで2カ月間かけて下って日本に帰ろうとしたとき、なにも持って帰るものがない。得たものないなって思った。ところが、つくりはじめたら作風が変わっていた。美感も色彩感も、ゆるい感じになれた」

 「ものをつくる人間には震えがくるようなお話です。根源が変わったのですね。工房の庭先に梅がほころんでいました。私なぞ真っ新(さら)な気持ちで見たくても、昔の眼につきまとわれて、じれったい。ところが三原さんは、器(うつわ)であることすらやめて、オブジェの『景』に変わられた」


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