2024年12月4日(水)

Wedge REPORT

2016年3月22日

 昨年9月、鬼怒川堤防決壊をもたらした関東・東北豪雨。今回の被災地は史上何度も洪水に襲われており、過去に繰り返されてきた自然の営みにほかならない。まずは昨年の災害の痕跡を、地名から探っておこう。

鬼怒川流域

 鬼怒川はかつて毛野(けぬ)川(『常陸国風土記』)と呼ばれたが、「毛野国(後の上野・下野両国、現・群馬県と栃木県)を流れる川」のこと。平安期には「衣(きぬ)川」、中世には「絹川」とも書かれた。和語のケ(毛)とキ(木・牙)は「先端が尖り日夜、成長する」意味で、本来は同語・同語源である。

 古国名の「毛野」とは、関東北部の那須・日光・赤城・榛名・浅間などの火山群の麓の火山性扇状地・火山灰台地を、「△型の火山(ケ)がつくった野」と総称したもの。古代の鬼怒川は、関東北縁の帝釈山脈・日光火山群に源を発し、下野国(栃木県)中央部を南流して、常陸・下総両国境を流れ香取ノ海に注いでいた。

 香取ノ海とは現在の利根川下流域一帯に広がった内水面で、茨城県霞ヶ浦・北浦・牛久沼、千葉県印旛沼・手賀沼などはその名残である。その最奥部が騰波(とば)ノ江(『常陸国風土記』)、広河(ひろかわ)の江(『将門記』)であり、「飯沼」とも呼ばれた大沼沢池であった。

 関東北部の山地に大雨が降ると、下流の低湿地はしばしば冠水し、今回同様に一面の沼地と化した。そして水が引くと、古代以来、台地縁辺から徐々に水田化されていった。

 鬼怒川と小貝川は古代から、常陸国の筑波台地の西側、下総国北西端の結城台地の東側、幅3~5キロメートルの狭い低地を合流・分流しながら流れ、たびたび氾濫を繰り返した。この川の名が「鬼が怒る」という漢字表記になったのは、戦国期~近世初頭ごろからだろう。

 平安前期に編纂された『和名抄』国郡郷部には、下総国豊田郡飯猪(「潴(ぬま)」の誤記)郷の名が載る。この郷は、常総市石下から同水海道にかけて鬼怒川左岸に延びる自然堤防一帯だったろう。飯沼のイヒとは、長野県飯田市ほか多くの地名例から見てウへ(上)の同行通音形。つまりイヒヌマとは「上方にある沼」の意で、「香取ノ海の最奥部(最上流部)にある沼」のことである。


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