「高台(こうだい)とシンメトリーをなくしたかった。海外発表が増えて、花器という活ける要素に意味がなくなってきた。存在できれば、力があれば、というのかな。水を溜めることも必要ないと」
「用まで捨てたのですね。底が抜けたとき、怖くなかったですか」
三原さんの含み笑いは下まぶたがけむるよう。姿勢が伸びてきれいだ。
「『景』は心象風景ですか」
「ですね。よくどこから形が出てきたか問われるけど、自分でもわからない。1つのシリーズが出来るまで抱えこみ、細部まで決めてつくりはじめる。最初の1点から修正にかかり、作品自体が動き出します」
独特なのは、素焼き後、40時間の本焼きを2度行うこと。初回は硅石の化粧泥をかけて土を直火から避け、焼成後、卵の殻をむくように剥がす。本焼き2度目で土の微妙な色と質感を引き出す。
茶の湯と「見立て」
「景」は出雲の風土を超え、世界の地平に出た。造形力は現代彫刻の優品に肩を並べよう。その陰で茶陶大賞を2度も受賞している。
「ぼくお茶やってないです。ミタテとして使える範疇のものを提案するんです。こっちが審査員を茶人と見立て、お茶の道具に見立ててもらう。蓋ものならば水指(みずさし)に使えそうとか」
李朝の雑器を名物の大井戸茶碗に見立てた桃山の精神を逆手にとったエスプリである。
「三原さんにはレールの上を走ろうという気持ちがない。だから斬新なんですね」
茶人は、茶碗の釉(うわぐすり)や火色(ひいろ)を景色として愉しみ、山水画に分け入るように遊ぶ。「景」はその景色への批判的継承といえるかもしれない。見立てとは隠喩(メタファー)だ。出雲は斐伊川(ひいかわ)の八岐大蛇(やまたのおろち)といい、稲佐(いなさ)の浜の国引き神話といい、メタファーづくしの土地柄。いいかえれば詩がささやく。三原研の詩精神(ポエティック)はそこにみなもとをもつ。