2024年11月22日(金)

ネット炎上のかけらを拾いに

2016年10月13日

大人の感動に付き合わされる子ども

 筆者は涙腺が弱い。正直に言うと、この動画を見たときに、子どもたちのあどけない表情や純粋そのものの言葉遣いに涙がこぼれた。しかし、涙を流しながら同時に、「やらせっぽくね?」と思ったのである。身体の反射と気持ちがズレるということは人間にはある。

 果たして、子どもがこんな風に揃いも揃って同じ答えを出すことがあるのだろうか。演出にしろ、本当に子どもがこう答えたにしろ、どちらにしろ「嘘っぽい」。そして、まるでこの答えが「唯一無二の正解」のように演出することに寒気を覚える。

 「足りない分のチケット1枚は親に払ってもらう」と答えた子どもはいなかったのだろうか。もしそう言った子どもがいたとしても、「それはルール違反、その場合はチケット没収で~す」などと誘導したのでないのか。

 そもそも子どもがどう答えたって正解も不正解もないのだ。もともと大人の勝手な試し行動なわけであるし。「妹が生まれる前に私はパパとママとで1回旅行しているから、今回は私以外で行ってください」でも、「弟が生まれてからママとの時間が少ないから、今回は弟に我慢してもらいたい」でも、「なんかよくわからんので、ここは我が家の伝統に従ってあみだくじで選びませんか」でも。なんでそれではいけないのか。いろいろな家族がいるのに、なぜ答えが一つではないといけないのか。筆者が脊髄反射で涙を流したように大人は子どもを見るとそれだけでつい胸が熱くなるものだが、それは大人の勝手な感慨であって、子どもは大人を感動させるために生きているわけではない。

 あらかじめ感動する答えの設定された動画。企画過程を想像してみると、そのようにしか見えないのである。(やらせではないという前提で考えた場合)演出側に不都合な回答をしてカットされた親子はいなかったのか。こういう回答をしそうな優秀な子役(と、その親)を慎重に選んできていないか。そんな詮索をさせてしまう時点で、感動を仕立て上げることに失敗しているし、こんな企画を立てること自体どうかしている。


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