2022年12月5日(月)

WEDGE REPORT

2017年1月22日

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田村明子 (たむら・あきこ)

ジャーナリスト

盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『挑戦者たち-男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』(新潮社)で2018年ミズノスポーツライター賞受賞。

1972年に着工していたセカンドアベニューライン

 古いニューヨークのモノクロ写真を見ると、高架電車がたくさん走っている。だが地下鉄の登場により、マンハッタンの路上から徐々に高架電車の線路が消えていった。

 本来セカンドアベニューラインは、セカンドアベニューの上を走っていた高架電車の代わりに建設されるはずだった。だが1940年代にそれが廃止、解体されても地下鉄の建設は遅々として進まなかった。

 1972年にいよいよ本格的に着工式が行われたものの、1975年に予算不足で先の見通しがたたないまま中断。地下には3箇所に短いトンネルが残されたのみだった。

96ストリート駅

デッドゾーンだったアッパーイーストサイド

 マンハッタンは長さおよそ24キロ、幅約4キロあるが、地下鉄の全体のカバー率はかなり良い。そんな中で、唯一イーストサイドが置き去りにされてきた。

 レキシントンアベニューの下を走るレキシントンラインが島を縦断する地下鉄としてはもっとも東側にあたり、3アベニュー、2アベニュー、1アベニュー、それよりさらに東のヨークアベニューとなると、公共交通に関してはデッドゾーンと言われてきた。

 当然レキシントンアベニューラインは常に混む路線で、アメリカの地下鉄でもっとも乗車率が高い。その混雑を軽減するために、ようやくセカンドアベニューの計画が再スタートされたのが2007年のこと。そして10年かけて、今年の元旦にオープンに至ったのである。

 さすがに1919年の当時を覚えている人はいないだろうが、1972年の着工工事当時を覚えているニューヨーカーからは、「生きている間にセカンドアベニューラインに乗れるとは思わなかった」と喜びの声が上がっているという。

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