前半で紹介した「落書き」の問題は主に2つだ。
まず、演出された写真であるにもかかわらず、日韓両国で数十年間「事実」かのように認識されてきたという点、恐らく検証しようという努力がなされず、マスコミはむしろこれを広めるのに大きな役割を果たした。最も深刻だと思うのは韓国のケースだが、韓国ではこの「落書き」が教科書(『近現代史教科書』 中央教育 2004)に掲載され、教育を通して拡散し定着した。捏造資料を見て学んだ幼い学生たちは、日本に対してどのような感情を抱くだろうか? 考えただけでも嫌になる。
次に、2000年代初・中盤には既に捏造だということが西日本新聞や在日韓国人研究家により明らかにされていたのにも関わらず、依然として「強制連行の残酷性」をアピールする資料として使用されているという点だ。最近の韓国マスコミは、むしろこれを「軍艦島」に関連付けて紹介するなど意図的な「ミスリード」ともとれるような報道さえしている。これらの報道を目にした韓国人は日本への感情を悪化させるしかない。
だが、実はこの問題について考えるときに、日本も、そしてもちろん韓国も、知っておくべき事実がある。それは、この落書きが最初に登場した映画『乙巳年の売国奴』の内容と、この映画が作られた背景についてである。驚くべきことに、この映画は日本の植民地政策を批判するために作られた映画ではないのだ。北朝鮮系組織が戦後の日韓和解、即ち、日韓国交正常化を破綻させようと作られた冷戦時代のプロパガンダ映画だったという事実である。
日韓対立煽動の為に作られた映画『乙巳年の売国奴』
目的は1965年の日韓国交正常化の妨害
この問題を理解するために最も重要なポイントは、この捏造劇の始発点、映画『乙巳年の売国奴』である。この映画の内容、そして作られた目的が何であったのか。この映画は1965年に日本で制作された白黒フィルムの映画だが、映画の中で使われている言語は韓国語である。元々メジャーな映画でもなく、現在では入手することも難しい映画だ(韓国では北朝鮮の資料という理由で公開や閲覧が制限されている)。私はソウルにある統一部傘下にある北朝鮮資料室でこの映画を視聴した。映画を見る前、私はこの映画を単純に日本の植民地政策を非難する映画だろうと想像していたのだが、私の予想は見事に裏切られた。
映画のタイトルにある「乙巳年」という言葉を見れば大部分の韓国人は六十干支の「乙巳年」のうち1905年に締結された「乙巳条約」を思い浮かべる。「乙巳条約」とは日本で「第二次日韓協約」と呼ばれる条約だ。韓国側から見れば外交権を失った屈辱的な不平等条約である。韓国では当時日本との協約を推進した朝鮮王朝の五人の大臣を「乙巳五賊」と呼び、現在の教科書でも親日売国奴として教えている。
この前提を知れば、私がこの映画のタイトルを見て、映画の内容を乙巳条約(第二次日韓協約)と、それを推進した大臣たちについての映画だと考えた理由もご理解いただけると思う。恐らく大部分の韓国人がこれを連想するはずだ。だが、映画の指す「乙巳年」は1905年ではなく、そこから六十干支が一周した、つまり60年後の1965年だったのだ。そう、日韓国交正常化がなされた年である。この映画のタイトルが示す「売国奴」とは乙巳条約を推進した大臣たちではなく、1965年に日韓国交正常化を推進した朴正煕(大統領)、金鍾泌(与党議長)、車均禧(農林部長官)、丁一權(国務総理)、 李東元(外務部長官)、金東祚(日韓会談首席代表)だったのである。