2024年7月18日(木)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年3月5日

 で、私は、会場となった体育館の、卒業生の座席の最後列の椅子に腰を下ろした。体育館は思い出の場所で、さまざまな記憶が甦った。

 私は1年生の時に体操部だった。5月だったか、体育館で身体検査の折に、覚えたばかりの逆手大車輪を隅にあった鉄棒で練習していて、手が滑って落ちた。そのまま救急車で病院へ。幸い頭も首の骨も異常はなかったが、脳震盪になり、1週間分の記憶が消えた。

 言語学者の金田一京助氏が、来校し、「わが友石川啄木」と題して講演、涙ながらに親友歌人の生涯を語ったのも、この体育館である。私は、「歴史上の人物」にかくも感情移入できる人が同時代にいることに驚いた。

 2年生の春、私は仲間たちと柔道部を創設した。やっと30畳ほどの畳が揃い、体育館の一画で稽古を開始したのは6月頃だ。

 部長に推された私はそれまでにどうにか初段を取ったが、黒帯わずか2人という何とも弱いクラブだった。一度だけ他校を招いて交流試合を実施した。結果は無残だったが、初めて女子が応援に来てくれた手前、大将の私が負けるわけにはいかない。目いっぱい腰を引いて引き分けとし、何とか面目を保った。

 体育館にまつわる最大の思い出というと、やはり10月10日の東京五輪開会式の日だ。

 その日は土曜日で、私は体育館に置いたテレビの前で部員たちと実況中継を見ていた。

 誰かが、「空に輪が見えるぞ!」と叫んだ。

 急いで校庭に飛び出した。見上げると多摩川の向こう、東京・神宮外苑の国立競技場の上の真っ青な空に航空自衛隊ブルー・インパルスが今まさに5色の輪を描いていた。

 私は感激した。アジア初のオリンピックがテレビ画面の中だけでなく、少し手を伸ばせば届きそうな距離にある。金田一さんの啄木ではないが、遠いと思い込んでいた歴史は、実は案外身近なのではないか、と……。

 『蛍の光』が終わり、卒業式は終了した。

 私は少し立ち止まり、2年生の時の級友たちと一緒に体育館から外に出た。両脇は見送りの下級生や教師である。私の手に卒業証書はないが、あちこちから声がかかった。

「えっ、足立部長?」
「おう足立、なんでお前、転校したんじゃなかったのか?」
「よう久し振り! 何組にいたの?」

 私はただニヤニヤしていた。生まれて初めて同じ学校で入学式と卒業式を迎えられた喜びというより、こんな形の不規則な「卒業式」もアリだと確認できたことが嬉しかった。

 そして、ぼんやりと感じ始めていた。自分は他の人とは違う、多少ズレた人生を歩むことになるのではないかーー。

  
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