2024年7月18日(木)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年3月5日

 私の第一志望は早稲田大学だったが、1月半ば以降、授業料値上げ反対と学生会館管理運営権を巡って学生ストが勃発、大学構内は全学共闘会議によりバリケード封鎖されていたのだ(第一次早大闘争と呼ばれる。大学入学後、闘争を指導した全共闘の大口昭彦議長を新入生有志が喫茶店に招いてレクチャーを受けたが、当時はこの「騒動」が、その後全国の大学を揺るがす全共闘運動の先駆けになることなど、夢想だにしなかった)。

 ともあれ、大学側は警官隊を導入して学生を排除、2月24日から入学試験を強行し、私も受験した。

 2年間過ごした川崎市の多摩高校で「卒業式」に出席できたのは、そんな喧騒の日々の中の奇跡のように穏やかな日のことだ。

 受験期間中、私は2年生の時の同級生の家やその親戚の家に泊めてもらった。3月に入ってから、その同級生が私に言った。

 「明日は多摩高の卒業式だけど、来る?」

 願ってもない誘いだった。

 多摩高校で過ごした時間は佐世保南高校で過ごした時間より2倍以上長い。高校生としての思い出もそれだけ多い。たとえ卒業生の席に座れず、卒業証書を授与されなくとも、会場の片隅で懐かしい学友たちの晴れの姿を見守るだけで充分、と私は思った。

 その日、約1年ぶりに焦茶色の国鉄(JR)南武線に乗って宿河原駅に着いた。

 線路沿いにチラホラと花をつけ始めた梨や桃の果樹園を眺めながら住宅街をしばらく歩くと、クリーム色の多摩高校の校舎だ。

 多摩川河畔の多摩高校は、創立7年目の新しい県立高校だった。校舎も新しく、教師たちも若い。だが、川崎市内トップの川崎高校に「追いつき、追い越せ」がモットーで、勉学面も、スポーツ面も挑戦の精神に溢れ、校内にはどこか「自由」の空気が流れていた。

 何人もの顔見知りに出会った。この日自分が来た訳を話すと、彼らは口々に「いいから一緒に卒業生の席に座っていろ」と言う。

 いいのか、と思った。でも、いいらしい。


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