再びの山下さん流“名庭のポイント”レクチャー。本間さんによれば、タイミングを決めて一気に手入れをするのではなく、「一年中、毎日、どこかしらに手を入れるようにしています」。それとともに大事なのが「日々の掃除」とのことで、見まわせば確かに足元には目ざわりなゴミひとつなく、園路はゆるやかな上り坂となって風雅な竹林、種類豊富な花木園をめぐったのち、もとの大芝生へ。
「じつは昭和四〇年代に、この庭園を含む開発計画が立てられたことがあったのですが、真っ先に反対したのが他ならぬ地元の方たちでした」(本間さん)。その熱意もあって、昭和四九(一九七四)年に東京都が買収したというだけに、日々の手入れにも格別の情熱がこもるのだろう。
「もとの自然を無思慮に切り開いて、ポンと作ってしまう“公園”とは違い、いわば文化としての“庭園”の理想的な形。だからこそ、日々少しずつ更新されていく、生まれ変わる不断の美しさが感じられる。根底には、やはり日本人ならではのアニミズム(自然に宿る精霊への信仰)的な自然観があるんだと思います」
▼明治神宮御苑〔めいじじんぐうぎょえん〕
──明治天皇の大御心による常磐の杜〔もり〕の庭園
若者でにぎわう原宿駅から線路をまたぐ神宮橋を渡り、大鳥居をくぐる。みなぎる神聖の気に背筋がピンと伸びるのを意識するのは、日本人のDNAゆえだろうか。大前(おおまえ、御社殿の前)へ至る正参道の曲がり角の手前、意外なほど小ぶりで簡素な門をくぐると、そこはもう広大な御苑の森の中だ。
「ここは江戸時代、熊本藩の加藤家、のちに彦根藩主の井伊家の下屋敷があり、その庭園を明治時代に宮内庁所管の代々木御苑とし、明治天皇と昭憲〔しょうけん〕皇太后も好んでお出ましになられました。それもあって、この地に明治神宮が鎮座したわけです」
案内をしてくださったのは、明治神宮広報の福徳美樹さん。大正四(一九一五)年からの神宮の造営にあたって、北は樺太(サハリン)、南は台湾まで、各地から集められた奉納の献木一〇万本以上が、一一万人におよぶ青年の勤労奉仕で植林され、今や東京ドーム一五個分の土地に一七万本もの木々が豊かに生い茂る「永遠の森」になったという。
「シイやカシ、クスノキといった広葉樹の多いのが素敵ですね。スギやヒノキなど直線的な針葉樹のフォルムとは違い、森全体に温かく包まれる感じがあります」