だだ漏れる書き手の自意識。
はあちゅう氏「私は作家」に、
吉田豪氏「ライター枠の人だと思ってます」
自分もライターを名乗っているが、ネット上(の、ごく一部)でしばしば話題になる「ライターとして食っていくためにはどうすればいいのか」「若手ライター(あるいはアラフィフライター)はどう生き残るべきか」といった話題にイマイチ乗れないでいる。
悩みを同業者同士で共有することが大事というのはわかる。わかるのだが一方で、ライターや物書きにありがちな自嘲混じりの自意識の高さを感じ取ってしまうのだ。ライターがどう生きていくべきかなんてことは、「職業:ライター」の人にしか関係のないトピックだが、それをそれ以外の人にも聞えよがしにやるのってどうなんだ。居酒屋で同席者が大声で人生訓を垂れる。ああきっと、隣の客にも聞こえてるだろうなあ、うるせえテーブルだと思われてるだろうなあ。すみません。そんな謝りたさがある。
さて、少し前に話題になったのが、女性ブロガーの「はあちゅう」氏だ。
ある日、ネット上で「人気のある有名な“読モ”ライターまとめ」に名前を載せられていることに気づいたはあちゅう氏は、「私、ライターではない…」とつぶやいた。(ちなみに「“読モ”ライター」というのも、ネット上のライターかくあるべき論争あるいはかくあるべきじゃない論争の中で突如として出現した言葉だがここでは詳しく述べない)
はあちゅう氏はこう続けた。
「書く人ってことで雑にまとめられること多いけど私は作家を名乗っていて、肩書がライターになってる時は全部修正してもらってる。ざっくりですが作家→自分の意見を書く ライター→誰かの意見(自分以外に取材)を書く」
「ケイクスの加藤さんの言葉を借りれば、作家は取材先が自分。自分に取材。(←病む)」※ケイクスの加藤さん=コンテンツ配信サイト「cakes」を運営する株式会社ピースオブケイクスの代表取締役CEO、加藤貞顕氏。
これに対し、インタビュアーで書評家の吉田豪氏が真っ向から反論した。
「Wikipediaにも「ただ単に『作家』と言った場合、著作家、とくに小説家を指す場合が多い」って書かれているように、ボクは作家=小説が本業の人だと解釈してるので、はあちゅうさんのこともライター枠の人だと思ってます」