「番台の小母さんが言ってたけど、昔は壁際のベビー寝台が10個でも足りなくて困ったけど、今は5個でも全然使う人がいないって。赤ちゃんがいないというより、各家に内風呂ができて、くる人自体が少ないのよ」
今や銭湯そのものが風前の灯、らしい。
ゲストハウスに戻ってくると、共有スペースの居間に3人の外国人客がいた。
カップ麺を食べているインドネシア人のカップルと、1人旅のベルギー人女性。3人とも20代後半と覚しい若い旅行客だった。
我々夫婦も、セルフサービスの紅茶の茶碗片手に彼らとの会話に加わった。
体格のいいベルギー人女性は、北海道から鹿児島県まで、もう2カ月も日本を回っていると言う。一番気に入った場所は「四国のオーボケ(大歩危、徳島県)」だとか。
「一番の思い出? それも四国よ。初めてキャニオングをやって、死ぬかと思うくらい冷たくてハードだったけど、何とかやりきれて自分にすごく自信が持てたわ」
キャニオングはフランス発祥の野外スポーツで、滝壺に飛び込みながら渓谷を下って行くもの。私は最近書評用の本を読んで知っていたが、まさかそれが日本の四国にもあり、外国人旅行者に「自分を取り戻す体験」を与えていたとは思いもしなかった。
インドネシア人の2人は、女性が語学教師で男性が観光用のクルーザーの乗組員。こちらはまだ5日目で、翌日伏見稲荷大社を見てから東京に戻り、今回はそれで帰国との由。
「日本は気に入ったからまた来たいけど、私たちはお金がないからね。知ってます? 日本人の食べるマグロも私たちの海で獲っているのが多いんですよ」
話すのはもっぱら英語の流暢な女性の方。
「ええ。インドネシアのアンボン島に行ったとき、知り合った人が“長い間日本のマグロ船で働いている”と言ってました」
「そう、あそこはマグロの漁船員が多いの。獲れた一番いいマグロは日本、次が欧米と外国、インドネシア人は残り物(笑)」
インドネシア人カップルは我々の隣の個室、ベルギー人の女性は別棟のドミトリーに宿泊予定ということだった。
部屋に戻った後、妻が、「明日は午前中に懐かしい場所を回ってみたいな」と言った。
子どもの頃、母方の祖父母が住んでいた堀川御池の家は、もう半世紀以上訪れていない。そこがどうなったのか、遊び場だった〈神泉苑〉は今どうなっているのか、「浦島タロ子になった気分で見てみたい」と。
「いいよ。行ってみよう!」
私は答えた。京都には過去何十回も来たが、ゲストハウスという「予想外の宿」を知った今、そこを拠点として既知の京都を新たな角度から見直せそうな気が、私もしていた。
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