しかし、財政が破綻してしまえば、まともであろうがなかろうが関係なくなってしまう。そして、大きな歳出抑制と負担増によって国民に大きな痛みを伴う事態に一気に陥ることはどの国も全く変わらない。その意味では、本の中でIMF発言として書いた日本人の甘さを指摘した部分は、財政悪化の背景がどれだけきちんと説明されようとも、下手をすると実現してしまうかもしれない。
1970年代のイギリスが先例となる
財政赤字を拡大させるかどうかは結局国民意識の問題であり、国民がいかに自助努力するかにかかっている。それは、近年の財政赤字拡大の主因である景気対策や高齢化にどう対応するかの問題でもある。
日本では、財政赤字を拡大させてでも景気対策を行わざるを得ないような時期が何年もあったし、高齢化は待ったなしに世界最速のピッチで進展している。しかし、財政支出拡大による公共事業の拡大ばかりが経済対策ではない。先例となるのは、1970年代のイギリスだ。
1970年代前半のイギリスでは、景気が悪くなり、企業の業績が悪化すると、雇用を支えるために企業の国有化が推進された。たとえば、1974年の「国有化白書」では、船舶修理、開発用土地、港湾施設、鉱業などが国有化候補業種に挙げられており、1976年の与党労働党大会ではイギリス金融界の中核を担う7大保険会社と4大銀行の国有化まで決議されている。
当時のイギリス経済の問題は、生活水準の維持向上を図る公共サービスの拡大が、やがて国民の政府依存を高め、財政膨張と赤字の拡大を招いていったことにある。国有化された企業の生産性や業績が伸びることもなかった。その結果、期待された生活水準の維持向上にしても、名目賃金が上げられて企業業績を圧迫したものの、インフレによって実質賃金はむしろ下がってしまった。
この悪循環に終止符を打ったのが、IMFからの資金調達の見返りに突きつけられた財政健全化条件とサッチャー首相の登場による貫徹した市場経済政策だった。要するに、IMFに資金繰りを要請せざるを得なくなるほど悪化したイギリスの経済と財政を見事に立ち直らせる要因となり、財政支出増や公共サービスの拡大に代わる最大の経済対策となったのは、結局は競争と国民の自助努力だったということになる。
福祉国家の理念共有も不可欠だ
一方、日本の高齢化に伴う社会保障費の構造的増大についての処方箋はあるのだろうか。この点では、欧州の福祉国家の理念が参考になる。欧州の福祉国家の考え方は、「人は社会に支えられ、社会を支える」との認識に基づいている。そこでは、一定の社会保障水準を国民が総意として望むのであれば、国民が見合った負担をするのは当然との考え方が国民に共有されている。
だから、福祉国家の代表格である北欧諸国は、そもそも基本的に財政均衡国ないしは黒字国であり、増大する社会保障費の恒常的な財源をどう国民負担を増やさずに工面するかといった福祉国家にあるまじき発想は存在しない。一方、私が長年住んでいたフランスは基調として財政赤字国だが、それでも社会保障費の一部は福祉国家の理念そのものを体現する「連帯」税によって賄われている。
福祉国家の理念が国民に共有されることは、国民の自助努力が社会保障を維持する源泉であることを示している。これは、最大の経済対策が国民の自助努力にあることと共通している。どんなに財政健全化が大変でも、国民が自助努力で担う以外にはなく、逃れることは出来ない。