2014年10月29日、5年以上にわたって後見をしてきた松尾由利子の死を現実にして、多くの人々に助けられた。私は山口に仕事があるから、すぐには行けない。火葬炉使用許可書は大津市在住の私の従兄、三津川伸荘が30日に取得してくれた。最期を遂げた「ハーネスト唐崎」を運営する「あかつき会」の武田直美理事と伸荘の妻・都が、葬儀会社との交渉に当たってくれた。私は神戸の天上寺に電話した。こうしてネットワークがフル稼働し、31日に大津で通夜、11月1日午前に葬儀、午後に荼毘(だび)という日程が組めた。
通夜と葬儀、荼毘には私たち姻族5、6人が臨み、ハーネストからは都度3、4人が入れ替わり参席してくださった。少人数ではあるが、しめやかに執り行われた。
明けて2日午前11時半、私たち姻族5人がタクシーで大津を出発し、神戸・摩耶山の天上寺を目指した。遺骨と遺影に化した由利子を、懐かしい神戸へ連れて帰るのだ。由利子にとっては、5年半前に、有馬の奥の施設に赴いて以来の神戸帰還である。小雨の中、午後2時過ぎ、寺に着くと読経していただき、納骨を果たした。雨が上がり、境内からは西に明石大橋が見渡せた。夜は神戸の夜景が素晴らしかろう。
京都まで戻って、夕べのお別れ会は計11人が喪服を脱いで集い、由利子の遺影の前に好きだったビールをジョッキに注いで供え、なごやかに歓談した。由利子は、姻族らに囲まれ温かい雰囲気の中で送られた。その人徳のゆえだろう。
由利子は、大津で真宗の住職から釋尼妙由(しゃくにみょうゆう)という法名を頂いたが、真言宗では戒名と呼ぶ。享年も、真宗では満年齢で90だが、真言宗では数えの91となるのだという。
葬式タブーの法解釈
成年後見人が被後見人の金を用いて葬式をしたり法名をつけたりするのは難しい。この問題の法的解釈を理解するため、『成年後見における死後の事務』(松川正毅編・日本加除出版)を開くと、40~41頁に次のように書いてある。
─―わが国の民法は、死者を権利主体として認めていないので、死者である被後見人のために事務をすると観念することは、法律解釈上、難しいように思えます。
(中略)被後見人の生前において、後見人は被後見人の利益のために事務をし、被後見人とその相続人の利益が対立する場面では、被後見人の利益を優先して事務をしていたはずです。被後見人の権利を擁護する目的で働いていた後見人が、被後見人死亡の日から突然、従前の態度を一変させて、相続人の利益のために事務をすることになります。
(中略)被後見人が死亡した今、被後見人の相続人に不測の損害を与えないことが応急処分義務の目的となります─―