2024年11月22日(金)

トップランナー

2010年8月23日

 ボクシング界の頂点を目指すレベルになると、アマチュアで実績を積み、大きなジムから小遣いをもらいながら練習を重ね、高校卒業後にそのジムに入るというエリートコースを歩む者も少なくないそうだ。坂本は、高校時代は経験すらなく、入ったジムも弱小と言っていい。さらには、華麗なフットワークを武器にパンチを当てて得点を稼ぐのではなく、相手と殴り合うようなボクシングスタイル。上にあがるには有利とは言えない条件が揃っていた。

写真:田渕睦深

 「だから、猛烈に練習しました。新人王を獲る前、同じくエントリーしている他の選手の練習を見たトレーナーは『坂本が絶対に(新人王を)獲る』と言っていたし、僕自身、周りが『あいつはすごい練習をする』って噂していることは知っていました」

 「そうやったのは、『たら・れば』を言いたくないからです。小さい頃から、すべて自分に責任があると思っていたし、その時々をどう生きるかを考えてやってきた。先のプランを立てていないわけじゃないけど、人間ってプランどおりいかないとジレンマに陥る。その時『もっといい環境だったら』って言うのは嫌だった」

 常に飢えや喪失と背中合わせで生きる毎日では、愚痴も『たら・れば』も、何の解決にもならない。しかも坂本は、人間不信の裏返しだったかもしれないが、自分しか頼れないと思っていた。こうした気持ちは坂本の原点なのだろうが、自分で自分の運命を切り開こうという強さは、そんなにも継続できるものなのか。

熱い応援をしてくれるから
僕も熱い試合ができる

 人にはある、自分にはない。万事そんな状況だったために、坂本には自分の力でそれを克服しようとする飢餓感のようなものが、いつも気持ちの底のほうにあっただろうし、負けず嫌いでもあった。加えて、激しい練習が結果をもたらすという好循環も継続の支えとなった。そして何より、自分に期待してくれる人がいると実感できたことが大きかったと坂本は語る。

 「自分だけの力では、減量を超えてリングにあがることはできません。トレーナーやジムの人はもちろん、たくさんのファンが僕を応援してくれた。愛情をくれたんです。一生懸命な僕を見て、私も頑張ろうと感じた人が熱い応援をしてくれる。その応援があるから、僕も熱い試合ができる。こんな、いろんな人とのつながりの出発点が、和白青松園だったんです」

 新人王を獲った1993年に「和白はまだあるのかな」とふらっと立ち寄り、園に暮らす子どもたちとの交流が始まった。園出身のヒーローを子どもたちは応援し、厚紙でつくったチャンピオンベルトを坂本にプレゼントした。坂本もお菓子を段ボール箱いっぱいに詰めて園を何度も訪れ、子どもたちを試合にも招いた。

 だから、「坂本は、園の子どもたちのために世界チャンピオンになりたかったんじゃないかな」と言う人もいる。本当だろうか。

 「ボクシングは自分を表現するもので、人のためにやったんじゃない。でも、親がいないとかそういうことで、人間が決まるわけじゃないってやってきた僕の生きざまを見て、何かを感じ取ってほしいと思ってきました」


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