2024年11月22日(金)

ヒットメーカーの舞台裏

2010年9月14日

 クリームは、ミルキーの主成分である練乳を加えれば、それらしくなると考えていたが、橋詰はすぐに「見当違い」と気づかされた。砂糖の成分が多い練乳を多めに加えると、甘さが勝ってしまうのだった。ミルキークリームロールは、スポンジ生地を巻き込むナルト型のロールケーキよりクリームの量は約2倍のタイプなので、甘さを抑えなければバランスが取れなかった。乳製品メーカーのアドバイスも得ながら、ミルキーの味を求めて試行錯誤が続いた。練乳は配合するものの、より牛乳に近い風味を主体にすることで橋詰が描いた理想のクリームに行き着いた。複数のスポンジ生地との組み合わせもカウントすると、試作品は100を超えていた。

未経験の職場環境という
不安は杞憂に終わる

 ミルキークリームロールを開発した当時、橋詰の所属は埼玉工場内の企画開発部門だった。07年の不祥事を機に、社内の風通しを良くしようと組織改革が行われ、開発メンバーも工場に配属されたのだった。橋詰にとっては未経験の職場環境であり、不安もあったというが杞憂に終わる。

 製造現場により近いところで開発を進めることで、開発者や生産担当者の間に一体感が生まれたのだった。それを最も感じたのが「製造ラインでの工夫」だ。スポンジ生地とクリームというシンプルな素材だけに、その品質が製品のできに直結する。例えば、白いスポンジ作りでは、焼成の型から焼成温度、焼成時間、焼成後の放冷時間など、様々な条件を製造チームと試した。もともと開発者は生産開始前には、工場に入ってラインテストを行っていたが、工場側には、開発者に任せるという雰囲気があった。今回は工場にいることで、製造の側からの提案をもらうなど、一緒に製品を作りこんでいくことができた。

 従来だと、開発者は「市場の動きばかりに気を取られるなど、机上での思考が先行するのは否めなかった」と橋詰は反省する。製造部門とのやり取りが密になったことで、今まで気づかなかった「当社の良さ、強みを再発見できる」ことにもなった。逆に製造現場からは、まだ商品化にはつながっていないものの、若手を中心に「こういう商品を作りたい」という提案も出るようになった。ミルキークリームロールは足元の業績への貢献だけでなく、再建に不可欠な不二家の企業風土刷新にも寄与している。(敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 橋詰明子(はしづめ・あきこ)さん
不二家 洋菓子事業本部生産本部製品開発部商品課課長

写真:井上智幸

1970年生まれ
兄と遊ぶことが多かったせいもあって、野球など男の子がするような遊びばかりをする小学生だった。その後も、運動を続け、中学ではソフトボール部、高校では水泳部に所属した。
1988年(18歳)
農学部に入り、バイオテクノロジーの研究を行う。将来は、理科の先生になろうと考えていた。
大学に入ってから、趣味として洋菓子・パン作りをはじめた。両親が共働きだったため、家で手作りの洋菓子を食べるという経験がなかったこともあり、チャレンジしてみた。はじめてみると面白くてたまらなくなり、理科の先生ではなく、不二家への就職を選ぶことに。
1992年(22歳)
不二家に入社。開発チームにいるときは試作品の試食で太り、企画チームにいるときは、頭を悩ませて痩せるという繰り返し。気分転換は、週末の運動と料理。こだわりのチーズやワインを求めてフランスにも行った。
2010年(40歳)
2月に課長になる。数少ない女性管理職ということもあり、女性の後輩からの期待を肌で感じつつ、洋菓子作りに邁進している。そして、ただ作るだけではなく、家族の絆作りのお手伝いをしていきたい。

◆WEDGE2010年9月号

 

 

 

 

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