現在、田門に寄せられる相談のうち、耳が聞こえないなど障害がある人からのものは約半分。相談を経て実際の弁護活動に入る事案では、約2割が障害者からの依頼になる。相談の時点で障害者からの割合が高いのは、近くに悩みを打ち明けられる人がいないからだという。
どんな内容が多いのですか?
「多いのは債務整理、交通事故の被害、離婚や相続などの家庭問題です。あとは耳の聞こえない人の消費者被害も多いです。口コミで投資に誘われ、元本も戻ってこないというものがほとんどです。障害者は人数が少ないところで人間関係をつくっていますから、その中で儲け話があると信用してしまいやすいんです」
手話のできる人や聴覚障害者が加害者となって、耳の聞こえない人をだます詐欺もあるそうだ。自分と同じ境遇の人だから安心だという心理を逆手にとってのものだろう。被害に遭いながら、誰と話をすればいいのかもわからない障害者が、今では遠く北海道や沖縄から田門のところにやってくるという。
「あなただから話ができた」と言ってもらえる時が
うれしいですね
「障害を持っている弁護士なら苦労もしているだろうし、自分の気持ちもわかってくれるのではというイメージを、相談にいらっしゃる方が持つようです」
自身が「駆け込み寺」になる理由を、田門はこう語る。でも、そこにはもっと深いものがあるように思う。
弁護士を頼るのは、とことん困った状況に陥った時だ。ただ、相談する側にも引け目があったりして、悩みを解決したいと思う一方で、すべてを赤裸々に話していいものか、葛藤にさいなまれる。土壇場で自分をさらけ出す時に、この弁護士を信じていいかを迷うのだろう。病気を患って懊悩をわかちあってほしい時に、医者を信用できるかどうかという気持ちになることと似ているように思う。
だから弁護士とは本来、人間の弱さを知り、相手の心の奥底を開く存在でなければならないはずだ。でも現実には、勝敗がすべてという依頼者が多いからかもしれないが、法律の知識と弁舌の巧みさばかりを前面に出して、「こうすればいいんだ」と一方的に意見を押し付ける弁護士が少なくない。
「弁護士にとっては、自分の意見で進めるほうが楽です。でも、依頼者は悩みを持って相談に来ますから、どこで悩んでいるのか、その話をまずは受容することが大事です。その上で、よい解決を一緒に考え、満足できる選択を本人ができるようにすることが必要です」
「他の弁護士のところに行ったけれど、叱られてばかりでダメだったから私のところに来たという相談も、時々あります。『あなただから話ができたんだ。よかった』と言ってもらえる時がうれしいですね」