窮地を救ったマクロン仏大統領
レバノンではこの辞任演説に驚愕が広がった。しかし、アウン大統領らはハリリ首相がサウジアラビアに軟禁され、辞任表明は強いられたものとの認識を深めた。レバノン当局者は西側外交官らに「首相がサウジに拘束されていることを信じる理由がある」というメッセージを送り始めた。
この時、ハリリ氏はサウジ国内にいた妻や子供たちとの面会も禁じられていた。同氏の自宅居室にはサウジ側の2人の警護員が常時監視に付き、自由な行動は制限されていた。首相宅を訪れた西側大使によってハリリ氏の軟禁が確認され、フランス、米国、エジプトなどが同氏の解放と出国に動いた。
特にフランスはマクロン大統領が11月9日、ルドリアン外相が同15、16日にサウジを訪問、サウジ首脳からハリリ氏の出国を取り付けた。ハリリ首相は18日、サウジを出国してフランスを訪問。22日にレバノンに帰国し、辞任を撤回した。
今回のハリリ氏の辞任軟禁劇について同紙は、ムハンマド皇太子が「イランの同盟者ヒズボラがこれ以上強大にならないよう阻止する時だ」というメッセージを送ろうとしたものだ、としている。皇太子は王族のライバルたちを汚職摘発という名目で排除し、国内の権力基盤の確立を図っているが、同時に国外でもなりふり構わずに反イラン、反ヒズボラの動きを強めていることを象徴する事件でもある。
反ヒズボラ軍団の設置をパレスチナに要求か
しかし、ムハンマド皇太子の触手はハリリ首相に対してだけではなかったようだ。サウジアラビア政府はパレスチナ自治政府のアッバス議長をリヤドに招請、議長は12月20日、サルマン国王と会談した。エルサレム問題が話し合われたとされるが、レバノン政府は会談の内容の報告を受けるため、情報機関の長官をアッバス氏のもとに急派した。
というのも、サウジのレバノンの同盟者の1人がパレスチナ難民キャンプ内にスンニ派過激派による「反ヒズボラ軍団」を組織化させようと動いていたからだ。レバノン当局者らはこうしたサウジ絡みの動きを難民キャンプを不安定化させかねないと懸念、新たな紛争の火種を食い止めようと必死だったのだ。
ムハンマド皇太子は2017年、イランとの対立を強め、隣国イエメンとの戦争を激化させ、カタールとも断交するなど台風の目になった。ハリリ首相の辞任騒動で見せた皇太子の剛腕は2018年の中東をさらなる対立と混乱に巻き込みそうである。
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