尾道の街のしっとりとおちついたたたずまいと言えば、半世紀前の小津安二郎監督の名作「東京物語」(1953年)のはじめと終わりに出てくるその古風な家並みがあまりにも素晴らしくて忘れられないが、大林宣彦の「さびしんぼう」(1985年)「ふたり」(1991年)「あの、夏の日~とんでろ じいちゃん~」(1999年)などと見くらべると、そのおなじ街が、おなじ良さを保ちながら近代化していく過程がよく分かってとても興味ぶかい。高台の街の風格と海沿いの街の活気。そして心理的なニュアンス豊かなドラマの多くはその両方を結ぶせまい坂道で起こるのである。
余談だが新藤兼人監督のお兄さんは昔尾道で刑事をしていて、大林監督のお父さんの持ち家に住んでいたことがあるそうである。
監督では大先輩の田坂具隆(たさかともたか、1902~74年)が豊田郡沼田東村(現三原市)の出身。戦前の名作「路傍の石」(1938年)から戦後は「陽のあたる坂道」(1958年)や「五番町夕霧楼」(1963年)など人道主義的な名作が多い。
いま第一線の若手では、広島市安佐南区出身の西川美和だ。「ゆれる」(2006年)や「ディア・ドクター」(2009年)で女流の先頭に立っている。
賀茂郡西高屋町(現東広島市)出身の長谷川和彦は、30年以上前に「青春の殺人者」(1976年)や「太陽を盗んだ男」(1979年)を監督して注目のマトになりながら、以後なぜか長すぎる沈黙を続けている。
俳優では木村功(1923~81年)が広島市中区の出身である。戦後の社会派リアリズム映画では引っぱり凧で、「山びこ学校」(1952年)「真空地帯」(1952年)「足摺岬」(1954年)などの悩みながらがんばる若者役の名作が多かった。あの時期、日本の青春の一面を代表する俳優だった。
平幹二郎も広島市中区出身である。美男すぎたせいか若い頃は色敵的な役が目立ったが、いまや堂々たる風格の大物の役をもっぱら演じている。「十三人の刺客」(2010年)の老中もそうだ。
女優ではすでに述べたように杉村春子が広島市出身である。昭和10年代から新劇界で屈指の演技派として注目され映画でもずばぬけた演技力で数多くの名演を残した。戦後の「晩春」(1949年)「麦秋」(1951年)など、小津安二郎作品における脇役名人ぶりは不滅だろう。
月丘夢路は広島市中区袋町の薬局の娘。宝塚でスターになって映画に迎えられた。純情な娘役からメロドラマのヒロインまで、さらには「白夜の妖女」(1957年)の妖艶な謎の女など、美女としてたくさんの主役をこなした。「晩春」など脇役だがいい味の巧演で忘れ難い。(次回は宮城県)
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