自由な裁量が少ないと思われる公立中学で、前例のない取り組みを次々と実行する千代田区立麹町中学校校長・工藤氏。そのキャリアに興味を持つ人は少なくないが、民間企業や私立校の出身ではなく、30年以上にわたり公立中学の教育に携わってきたことを知って驚く人も多いという。工藤勇一とは一体、何者なのか?(⇒第1回から読む)
少年鑑別所に収容された生徒との再会
「教室に入ってチョークケースを開けたら、タバコの吸い殻がぎっしり詰まっていたんですよ」
公立中学の数学教師として地元・山形から東京へ転任し、8年目。当時35歳の工藤氏が赴任した学校は荒れに荒れていた。廊下の窓はあちらこちらでガラスが割られ、床にはタバコの火による焦げ跡が点在し、吐き捨てられたガムがこびりつく。一部の生徒は制服があるにも関わらず私服で登校し、授業中は教室の外でサッカーに興じていた。
職員室には、半ばあきらめかけている同僚たちがいた。「これはもう人のせいにできない。自分がやらなきゃいけない」。工藤氏にとって、これまでの教員生活で経験したことのない試練だった。
「学校内外でたむろしている生徒たちを見つけると、いつも1人で話をしに行きました。先生が複数で来ると彼らは警戒する。でも1人で行けばちゃんと会話をしてくれるんです」
どんなに無茶なことをしても、僕は生徒である君たちのことが好きだし、嫌いになることなどない。だけどもし君たちが犯罪行為をしたら、そのときは警察に言わなきゃいけなくなる。これだけは覚えておいてほしい。ダメなものはダメなんだ……。
学年主任でも生活指導担当でもない、「平の」担任教諭だった工藤氏。1年生のクラスを受け持つことになり、先輩たちの姿に怯える生徒たちを守りつつ、トラブルのたびに保護者のもとへ謝罪に出向くことも日常茶飯事だった。そんな中で少しずつ環境を変えていったという。
「ボロボロの教室を生まれ変わらせるために、教師たちに呼びかけ生徒たちと一緒にペンキを塗り、壁紙を貼り直しました。ピカピカになったその空間で初めて保護者会を開いた際は、みんな驚いていましたね。この学年が進級すると、またボロボロの教室を一から生まれ変わらせる。そうやって少しずつ、まともな環境を作っていきました」
当時工藤氏が向き合った中には、少年鑑別所に収容された生徒もいた。後年、偶然その生徒と街で再会した際には、うれしそうに語りかけられたという。工藤先生、俺は今、真面目にやっているんですよ。子どもも2人いて……。
「そんな感動を経験できる職業は、そうそうないと思うんです。学校や教育は本当に面白い仕事ですよ」