オトナの教養 週末の一冊

2018年10月26日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

「宇宙に出ていくこと自体が目的」

 「ロケット学の父」と呼ばれるロシアのツィオルコフスキーの名言――「地球は(人間の)理性を育んでくれたゆりかごだ。だがゆりかごに永遠に留まることはできない」――を引いて、「宇宙進出は、人類の理性の成熟のためのステップとして考えるべき」と、著者は説く。

 <利益を得るために宇宙に出て行くのではない。宇宙に出て行くこと自体が目的なのだ。私たちは何のために知性を得たのか、それを何に使うのかを、真剣に考えようということだ。その意味で宇宙進出には、単なる科学・技術開発論を超えた、文明論としての意義があると私は思う。>

 本書ではまず、民間の火星移住計画や過去の閉鎖環境実験などを挙げつつ、人間関係やストレスの処理などの社会心理学的な問題、男女構成の問題を考える。

 私自身は、宇宙に移住するなら女性だけで行きたい。生殖の問題は、バイオテクノロジーで解決できるだろう。本書によると、そういうSF小説がすでにあるという。あなたはどうだろうか?

 こんなふうに、宇宙進出という思考実験は、人種や性による差別の問題、社会規範や文化的慣習、人体改造や遺伝子改変の是非といった問題を否応なく考えさせる。

 生命科学、医学を中心にした科学政策論の第一人者である著者だけに、遺伝子操作による生物の改変に対する認識の歴史を丁寧にたどることで、現在の認識も将来は変わるかもしれないと洞察している。なるほど、と腑に落ちた。

 また、生命倫理の問題を考えるための材料として、著者は人体実験の倫理を挙げており、自己決定やリスクの妥当性評価などについても深く考えさせられた。

 さらに、ロボットや人工知能の支援をどこまで受けるか。そもそも、生体の機能をどこまで置き換えたら人間は人間でなくなるのか……と、議論は広がる。

 とりわけ、「トランスヒューマニズム」と称する「人間の状態を根本的に改善する可能性と欲求を是とする知的・文化的運動」と、ツィオルコフスキーらの「ロシア・コスミズム」とを比べた章は、「現実の人間のやっていることを超えなければいけない」という文明批判をも含んでいて、示唆に富む。

『ホモ・デウス』と共通する視点の高さ

 動物やロボットの「意識」の問題、宇宙で進化した「超」人間や異星人との関係に踏み込めたのは、宇宙の視点だからこそ。イスラエル人歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの最新作『ホモ・デウス』と共通する視点の高さを感じた。

 世界的ベストセラーとなった『サピエンス全史』の「その後」を描いた『ホモ・デウス』で、ハラリは、近視眼的歴史観や先入観を排した宇宙的な高みから、人類と「超」人類の未来を俯瞰している。ハラリによると、過去300年にわたり世界を支配してきた「人間至上主義(ヒューマニズム)」に取って代わるのは、人間ではなくデータをあらゆる意味と権威の源泉とする「データ至上主義」だという。

 強力な虚構と全体主義的な宗教がバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借り、生活を支配するだけでなく、体や脳や心を作ったり、天国も地獄も備わったバーチャル世界を創造したりする未来。それが現実になるかどうかは、私たちの選択にかかっている、とハラリは指摘する。本書とあわせて読むと、いっそう面白いだろう。

 最後に、本書の第5章「エイリアンと出会ったらどうする?」では、国際宇宙法から、どのような備えが必要かと考える。「宇宙進出は平和目的で行おうというのであれば、まず地上での行いを正し変えていかなければならない」という苦言に、私たちは耳を傾けねばなるまい。

 「深宇宙に出て行って、認識や理解の及ばないものに出会えれば、人間は、自分たちの理性の力を真に試される機会を得られる。それは、相手を理解するより前に、自分たちは何者なのか、どれほどの存在なのかをあらためて考えさせられる、深い内省の機会になるだろう」と、著者は期待をこめて語る。

 本書を読み、「もしも宇宙に行くのなら」と想像する。その作業は、私たちの理性の力を試し、内省の機会を与えてくれることに、やがてつながるに違いない。

  
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