2024年5月10日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年8月30日

 そもそも中国の高速鉄道網は、大国として崛起しようとする中国の国威の象徴である。事故後の失言が祟って左遷された王勇平・鉄道部スポークスマンの言を借りれば、建設が速ければ速いほど「中国人民の叡智のあらわれであり、中国が生み出した奇跡」であった。この発言や「既に我々の技術は日本のそれをはるかに凌駕しており、日本の整備新幹線にも是非先進的な中国の技術を提供したい」といった発言は、「英米を追い越し、社会主義工業大国として世界に君臨する」という、大躍進期の自己欺瞞に満ちた宣伝と瓜二つである。

国家レベルで大災厄もたらす「大躍進病」

 しかし「大躍進病」の恐ろしさの本質は別のところにある 大躍進は、貧しい農業国で急速な集団化を通じて経済的蓄積を達成し、工業化に振り向けるというものだが、もともと経済基盤が脆弱なところで毛沢東の夢想通りにそのような筋書きが成功するはずはない。とはいえ「毛沢東の正しさを立証し、毛沢東の権威を輝かす」ことは、党幹部としての立身出世に不可欠である。そこで、資源を浪費した粗悪製品の濫造や数々の統計水増しが横行し(何事も目標値を超過すれば善であり、質はどうでも良い問題であった。否、質を云々することは「ブルジョア思想の残滓」ですらあった)、同時にイデオロギー的洗脳が極限に達した。勿論、莫大な水増し統計に基づく計画経済は計画経済でも何でもなく、やがて無残に破綻して誰もが塗炭の苦しみを味わうことになる。

 このように「大躍進病」は国家レベルで大災厄をもたらすが、これは一種の集団的な躁状態であり、一旦そこに巻き込まれた者は夢から醒めるまで欺瞞に気づかない。体制に忠実で利益を受けている者ほど、この病に深く蝕まれる。

 そこで高速鉄道問題について言えば、これが国威発揚の一大象徴として持ち上げられ、誰もがにわかに誇りや喜びに酔いしれる中、突貫手抜き工事や外国技術の未消化による諸々の不備に関する議論はほとんど顧みられず、せいぜい高速鉄道増発の陰で低所得者向け列車が減便されたことへの怨嗟が上がる程度であった。しかも北京=上海高速鉄道は、共産党創建90周年記念日である7月1日に何としてでも開通し、党の偉大さに華を添えることが運命づけられた。「大躍進」的につくられた高速鉄道の危険を認識せず、高額な切符を購入出来る中間層の多くは、流麗な高速鉄道車両に「党・国家の成功」と自らの社会的成功を重ね合わせて無邪気に喜ぶのが自然な成り行きではなかったか。

我に返った中間層の人々

 しかし大躍進が凄惨な結末を迎え、誰もが正気に返らされたのと同様、中間層の人々は今回の高速鉄道事故=鉄道大躍進の終焉を通じ、自らの成功の映し鏡ですらあった高速鉄道こそ実は「多くの人々の生命と財産を食い物にして肥大化する共産党体制の面子の権化」に過ぎず、これまで体制の受益者として余り自覚することのなかった中国社会の矛盾が、他でもなく自分の喉元にも突きつけられているという現実に接して我に返ったのではなかったか。その結果こそ、ネットを通じた鉄道部・政府批判の噴出という、言論の自由なき中国ではこれまで考えられなかった事態に他ならない。


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