栖来ひかりが綴る「日本人に伝えたい台湾のリアル」

2019年3月7日

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栖来ひかり (すみき・ひかり)

台湾在住ライター

京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。日本の各媒体に台湾事情を寄稿している。著書に『在台灣尋找Y字路/台湾、Y字路さがし』(2017年、玉山社)、『山口,西京都的古城之美』(2018年、幸福文化)、『台湾と山口をつなぐ旅』(2018年、西日本出版社)がある。 個人ブログ:『台北歳時記~taipei story』

「鼎泰豊」はこうして生まれた

 1945年に太平洋戦争が終結し、台湾を統治していた日本人(約30万人)は引き揚げていった。それと入れ替わるようにして中国大陸から台湾へとやってきたのが国民党政権の軍人や政府関係者で、台湾は中華民国の「台湾省」として編入される。そして、中国共産党が北京に首都を置き中華人民共和国を建国すると共に、国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党が百数十万人の人々と共に台湾へと渡ってきたのが1949年のことだ。

 これら戦後に移住してきた人々の出身地は広大な中国各地に渡り、それと共に、台湾で中国各地の特色を備えた料理文化が花開いた。例えば刀削麺や水餃子・肉まん・餅(びん)など小麦粉を使った料理は中国北方の山東料理だし、唐辛子や花椒を効かせたスパイシーな料理は四川料理、フカヒレやチャーシューなどは広東料理である。件の鼎泰豊の創始者も戦後に台湾に来た中国移民で油の商売をしていたが上手く行かず、同じく移民の上海(浙江)料理のオーナーから油のとなりで「小籠包」を売る商売を勧められて始めたのが大当たりしたという。

 では「台湾料理」といえば、どんなものを指すのだろうか。よく言われるのは例えばビーフンなど、日本が台湾を領土とする以前に台湾に移住した中国福建系の人々が持ち込んだ「福建料理」をベースに、台湾の気候や材料に合わせて発展し、そこに更に原住民や客家、日本などの多様な文化が影響を与えたというものだ。

台湾料理の元となった日本時代の「酒楼料理」を再現した江南楼の前菜(写真:筆者提供)

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