ロンドンに残る戦争の記憶、真の歴史認識に必要なことは?
7月20日。ロンドン郊外の帝国戦争博物館を参観。復元された英国の名機スピットファイヤ、ドイツのVⅠ飛行爆弾、VⅡロケットなどの大型展示物が目を引く。
しかし私には、ドイツの双発戦闘機メッサーシュミットBf110の解説が心に残った。1940年からRAFはドイツへの空爆作戦のリスクを減らすために夜間爆撃に変更したが、夜間戦闘に優れたBf100の登場により英国爆撃機の被害は甚大となった。
Bf110のエースパイロットであったハインツ・シュナンファー少佐(当時21歳~24歳)は121機のRAFの爆撃機を撃墜し700名以上が犠牲となった。うち59機は英国の誇る最新鋭のランカスター爆撃機であったという。
ハインツは戦後民間人として平和に暮らしたが、不慮の交通事故により1950年に28歳で世を去った。葬儀におけるハインツの友人の献辞が紹介されていた:
『ハインツは勇敢に戦い多くの無辜のドイツ市民を救った英雄である』
英国民にとり憎むべき敵国の軍人の祖国での評価を紹介することで、英独双方の市民の相互理解を促しているのである。帝国戦争博物館ではこのように敵国であったドイツや日本の視点からも第二次大戦を客観的に展示解説している。
ドイツ市民に食糧不足を補うために家庭菜園や魚釣りを呼びかけるナチスのポスターが同様の趣旨の英国政府ポスターと一緒に掲示されていた。またインパール作戦で戦死した日本兵が携行していた“出征祝いの日の丸”“千人針”などが詳細な解説を付されて展示されていた。戦死した日本兵にも無事帰還を祈る無数の人々がいたことを見学者に訴求しているのだ。
『レニングラード攻防戦記念館』を訪れたドイツの老婦人
ふと1995年に見学したロシアのサンクトペテルブルクの『レニングラード攻防戦記念館』を思い出した。記念館では戦後25年を経て記念館を訪問した西ドイツ(当時)の老婦人のエピソードを紹介していた。
老婦人は、レニングラード上空で撃墜されたドイツ空軍パイロットの息子の最期を知るためにレニングラードを訪れた。そして記念館に年金生活で蓄えた若干のお金を寄付した。
記念館の館長氏によると老婦人の行為はレニングラードの新聞で紹介され、多くのソ連市民に感銘を与えたという。老齢の館長氏自身も一兵卒として熾烈なレニングラード攻防戦を生き抜いた御仁であった。
愛知県の『B29の里』
15年前に立ち寄った愛知県三河の山村の『B29の里』記念碑は、1945年の名古屋大空襲で日本軍戦闘機『飛燕』の体当たりで撃墜されたB29の搭乗員を慰霊するものであった。
体当たりして戦死した日本軍パイロットの英雄的行為を紹介するとともに、B29の搭乗員の出撃前の記念写真や各自の略歴と運命を紹介していた。十数名の乗員はパラシュート脱出に成功した一人を除いて全員死亡。
機長以下ほとんどが米国の田舎町出身のフツウの市井の人達であった。唯一人生き残った19歳の機銃手は地元消防団と村民の山狩りにより拘束され、終戦まで大森の捕虜収容所に収監された。
彼はオクラホマの農家の末っ子であった。戦後無事故郷に凱旋して地元紙で英雄として取り上げられたことも紹介されていた。村人が素朴に敵味方なく犠牲者を慰霊している気持ちが伝わってきた。
敵方(=相手)の“素顔”を知ることで相互理解、そして真の和解が可能になるのではないか。昨今の隣国の言動に当惑するたびにそんなことを考える。
⇒次回につづく
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