2024年11月22日(金)

田部康喜のTV読本

2012年3月28日

 大津波警報と津波警報が太平洋岸の各地に出される放送が続いた。午後3時32分、宮城県の津波予想が10mを超えたことが流されたのは、気象庁からの情報が入ってから18分以上が経っていた。テレビの音声をそのまま流していたラジオが、この直後からアナウンサーがブースに入り、独自に避難を呼びかけるアナウンスを繰り返した。

午後3時54分、世界に津波が同時中継されたあの映像が飛び込む。仙台空港を飛び立ったヘリコプターに搭乗したカメラマンが津波をとらえた。名取川をさかのぼるようにして、真っ黒な津波が仙台平野を飲み込んでいく。

津波による死者ゼロ
茨城県大洗町の避難「命令」

 宮城、福島、岩手の3県の住民を対象としたアンケートによると、震災当日の津波についての放送によって、「すぐに逃げよう」と考えたひとは全体の43%に過ぎない。まだ余裕があると思ったひとが41%、津波がくるとは思わなかったひとが14%で、合わせて55%のひとは、すぐに逃げようとは思わなかったのである。

 NHKスペシャルの番組では直接的には紹介されなかったが、放送のあり方を考えようという取り組みのなかに、NHK放送文化研究所による震災地の膨大なフィールドワークがあった。

 放送文化研究所の機関誌である「放送研究と調査」2012年3月号は、「命令調を使った津波避難の呼びかけ」と題した論文を掲げる。2011年9月号は、「大洗町はなぜ『避難せよ』と呼びかけたのか」の論文である。

 茨城県大洗町は水戸市の東隣に位置する、人口約1万8,000人の漁業と海水浴で知られる町である。町を4mの津波が襲ったが、津波による死者はゼロだった。避難した人の数は一時、約3,400人に及んだ。

 「緊急避難命令、緊急避難命令・・・・」。町長の指示によって、防災無線に流れた命令調の指示が住民たちを助けた。「避難指示」が防災法上の言葉である。

 さらに、「高台に避難せよ、高台に避難せよ・・・・」と。

 住民たちを避難に駆り立てたのは、地区を名指した具体的な指示だった。「明神町から大貫角一の中通りから下の方は大至急避難してください」

 2012年3月号が紹介する、宮城県女川町の防災無線の事例はこうだ。無線放送をしている町役場を津波が襲った。

 「大津波が押し寄せています。至急高台に避難してください」

 津波はついに、3階建ての2階部分まで水没させた。その瞬間、無線の担当者は叫んだ。

 「逃げろー!高台に逃げろー!」

端的に強い危機を与える報道へ

 NHKは2011年10月から、津波についての情報を伝える呼びかけを変えることにした。端的に強い危機を伝える、という基本的な方向性である。

 NHKスペシャルの武田アナウンサーの模擬放送は、その実践である。

 テレビの音声を流していたラジオが独自のアナウンスを始めたとき、そのブースに飛び込んだアナウンサーは、かつて「おはよう日本」のキャスターを手がけた伊藤博英である。エグゼクティブ・アナウンサーの地位から初めて、4月から地方局に転勤になる。行き先は初任地の福島放送局である。震災報道の強化の一環だ、と伝え聞く。

 筆者の余話である。伊藤と筆者は、震災地の仙台の高校同級である。

 友の「栄転」を喜ぶ。(敬称略)


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