WEDGE REPORT

2020年3月18日

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花井亨 (はない・とおる)

写真家

1973年東京都東大和市生まれ。1996年日本大学芸術学部写真学科卒業後、東京スポーツ新聞社写真部入社。サッカーセリエA(中田英寿、中村俊輔など)、大リーグ(イチロー、新庄剛志など)ゴルフ(マスターズ、全米オープン、全米プロ他)などを取材。2005年ロイター通信写真部入社。
◆サッカーFIFAワールドカップ 2010年南アフリカ、2014年ブラジル、2018年ロシア
◆オリンピック 2012年ロンドン、2016年リオ・デ・ジャネイロ
2019年2月よりフリーランス。
HP: https://www.toruhanai.com/
Twitter: https://twitter.com/toruhanai
​Instagram: www.instagram.com/toruhanai/

写真家の花井亨氏は、2020年2月23日、写真プロジェクトのアサインメントのためにリベリアのモンロビアに到着した。そこで花井氏を待っていたのは、新型コロナウィルスの感染者が増加している地域からきた日本人に対する「隔離生活」だった。新型コロナの混乱が続く世界で、日本人が直面した過酷な現実とは。

 
朝、検温を受ける筆者(右)通常は朝、晩2回だが、37℃以上になると1時間おきに

 2/23日曜日、現地時間20:00ベルギー発のブリュッセル航空 SN 241便は西アフリカ・リベリアの首都モンロビアのロバーツ国際空港に到着した。

 空港では、マスクに手袋姿で、非接触型の体温計を手にした職員が乗客の対応をしていた。私は早く入管を抜けて、私を迎えに来ている今回の取材対象、「国境なき医師団」(MSF)のメンバーと合流する為、足早に進んだ。パスポートを係官に見せると、「Japanese?」と聞かれた。「YES!」と答えると列から外された。その後、空港脇のオンボロの小型バスに案内され、バスは行き先を告げずに出発したーー。

 リベリアのメインストリートは大きな交差点でない限り、街灯は無い。おそらく2時間ほど走り、バスは急に止まった。

 バスのヘッドライトは施設のゲートを照らした。直感的に刑務所か軍事施設かと思った。高い塀には鉄条網が張り巡らされていたからだ。病院で簡易検査してシロだったら解放されるのだと思い込んでいた私は自分の置かれた状況がヤバイ事に気付いた。

防護服にフェイスマスク着用で部屋の中に入る職員。リベリアでこの格好では、汗が噴き出して大変だ

 時刻はすでに夜の11時を過ぎている。敷地の中はとてつもなく広い、ゲートを入り、車で数分走ってようやく建物の前に停車した。廃墟の学校か?病院なのか?案内された部屋を見て私は愕然とした。

 「刑務所だろ、ここ……」

空港から直接連れて来られた検疫施設の廊下。エボラ出血熱の際にも使用されていたと思われる

 私はどうやら検疫隔離収容施設にきてしまったようだ。真冬といえども、赤道直近のリベリアの暑さは辛い。東京の夏以上に蒸し暑さが酷く、息苦しさすら感じる。パイプベッドと扇風機のみの部屋には無数の蚊がいる。暑過ぎて長袖長ズボンじゃ熱中症になりかねない、結局、Tシャツに長ズボンで横になった。

 マラリアが怖い、それが気になって寝られない。腕はかなり蚊に刺された。下半身は汗でぐっしょり。不快極まりない。部屋を出て廊下を曲がったところにあるシャワーは出ない、トイレも汲み置きのバケツの水で流す。全くとんでもないところに来てしまった。しかし一晩くらいなら我慢しよう。朝が来れば国境なき医師団が迎えに来てくれる。

 翌24日、荷物をまとめて待機していた私はこう告げられた。

検疫施設の部屋。頻繁に起こる停電で扇風機が止まると即、蒸し風呂に

 リベリア政府は、私が到着した日の2/23から、これまでの中国だけでなくコロナウイルス感染者が100名を超えている国からの渡航者に、14日間の隔離検疫を課すると定めた、と。私は何も知らずに空港に到着し、記念すべき、対象者1号になったという訳だ。その発動に関して、日本政府およびリベリアを管轄する在ガーナ日本国大使館への事前通達は一切無かった。

 国境なき医師団と、在ガーナ日本国大使館の姫野勉大使らが私の即時帰国に向けて、リベリア政府に働きかけてくれた、特に姫野大使はリベリアの外務大臣、保健大臣や検疫を管轄する保健副大臣と直接電話で働きかけをしてくれた。そもそもリベリアは事前通達をしていない。入国せずに空港でそのまま帰ると言う選択肢もあったはずだ。私の元々の滞在予定が1週間なのに、2週間の検疫隔離されるくらいなら、すぐ帰国したい。知らずに入国して、14日間の強制検疫身柄拘束では、あまりにも酷い。1週間後には次の仕事が入っている。

窓の隙間から外を覗くと、施設敷地内に武器を持った兵士が見えた

 国境なき医師団の現地スタッフの方が炭酸飲料やフルーツなどの食べ物、パンやチーズを差し入れしてくれた。施設で出る食べ物は正直厳しい。メニューは決まっていて、朝はタロイモ(ジャガイモと里芋の中間のような芋)とバナナを蒸したものに、辛いソースが少量付く。

オイリーでグロい、グリーンのルーもさることながら、水が悪いのか?白米のクセが強く、キツかった

 昼と夜はグリーンと呼ばれる、イモの葉のどろどろ炒めに赤いヤシ油ベースに香辛料と鶏の脚(モモではない、指先の方の脚である。当然食べられない。出汁取りなのだろうが、見た目がグロい)に数種類の魚が入る。鶏と魚が同時に入るというのもなかなかツラい。現地米のクセの強さもあって、大抵の食べ物は大丈夫な私も少食になった。しかも、ずっと同じモノが出続ける。これにはマイった。

 隔離3日目になると、部屋の外がやたら騒がしくなって来た。どうやら私の後にこちらに来た、リベリア人留学生がここの劣悪な環境に不満を爆発寸前のようだ。彼らが暴徒化する恐怖に怯えていた私に、救いの手が差し伸べられた。日本大使館の姫野大使らの働きかけによって、「ホテル」に移動できることになったというのだ。あゝホテルという響きに心、トキメく。クーラー、シャワー、虫のいない部屋、美味しい食べ物。どれか一つでも今すぐ欲しい。くれぐれも他の入所者にバレないように急ぎ荷物もまとめ準備万端。とうとうマネージャーに呼ばれた。

 「今日のホテルへの移動は無くなった」

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