2024年11月22日(金)

故郷のメディアはいま

2012年9月19日

従業員、年商とも親会社の実績を上回るほどに

 車エビ・ヒラメの養殖は今、MBC開発の地産事業本部水産事業部に位置づけられる。水産事業と同時にスタートしたのが、不動産事業(同社不動産事業本部所管)である。同事業の開始に当たっては、家電販売事業を営むMBCサービス(前身は1957年5月に設立された南日本サービス)の支配人を迎えた。家電と不動産ではモノも値段もまったく異なるが、営業経験者が必要不可欠との判断からだ。4年後の73年にはMBC不動産情報センターを併設、一般不動産物件の売買斡旋や大小造成地の取得販売、さらには分譲マンションの仲介へとその業務を広げていった。

 MBC開発はMBC本体の連結決算の対象になっているが、今では、地産・不動産の2事業本部のほか、戸建て住宅の建設・リフォームを行う建設事業本部、当初の設立目的だった広告事業本部、保険・旅行・「かごしま壱番館」の愛称でのDVD販売等を業務とする企画事業本部と5つの事業本部を抱える従業員256名(本年3月末現在)、年商84億円(2011年度)の事業体となった。親会社MBCはピーク時の放送事業収入が68億円(04年度)で、1991年の従業員は約230名だった。それが2011年度は59億4000万円の118名である。従業員、年商とも親会社の実績を上回る“親孝行会社”である。

「まずはハードの普及を」
家電事業にも着手

 同局の放送外事業は“見切り”=撤退の決断が早いのも特徴だ。たとえば、前述の家電販売事業を展開していた南日本サービス。MBCが、最初の関連会社である南日本サービスを設立したのは57年5月。じつは、テレビ放送開局の2年前だった。民放テレビ局が日本テレビ放送網(NTV)はじめ、TBS、中部日本放送(CBC)、朝日放送(ABC)、北海道放送(HBC)とまだ5局しか開局していない時である。「テレビ放送を始める前にもう関連会社? どういうこと」と首を捻る読者もいることだろう。53年5月にラジオ南日本として設立されたMBCは、同年10月にラジオ放送を開始し、56年1月テレビ開局準備局を設けていた。

 つまり、テレビ開局が射程内に入ったはいいが、テレビを視聴出来るのは東京、大阪などの一部にとどまり、テレビ受像機そのものは高価過ぎて庶民には高嶺の花で、せいぜい「街頭テレビ」に群がるしかなかった。そこで「視聴者を増やすには、まずハードを普及させなければ」と家電販売を主たる業務とする南日本サービスを設立したのである。誰もが思いつきそうだが、いざそこまでやる放送局はMBCだけだった。


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