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2021年3月3日

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片田敏孝 (かただ・としたか)

東京大学大学院情報学環特任教授・日本災害情報学会会長

1960年岐阜県生まれ。豊橋技術科学大学大学院博士課程修了後、群馬大学大学院教授などを経て現職。東京都江東5区が組織した水害対策協議会のアドバイザーも務める。著書に『人が死なない防災』、『人に寄り添う防災』(共に集英社新書)など多数。
 

「誰かの存在に気付くこと」が
避難を後押しする

 いざ大規模災害に直面した時の現場の最優先課題は、地域から災害犠牲者を出さないことであり、一人ひとりが「自分の命を自分で守る」ということに尽きる。しかし、防災の効果を得るために必要なことは、防災上の合理的な行動のみを考え、それを声高に主張し続けることではない。

 例えば「避難しよう」「避難しなければ」と思う態度変容をもたらすのは、「命を思い合う心」だ。地震が起きても避難しないという人に対しては、避難しないことで最悪の事態に遭った時「あなたの周りに悲しむ人はいないか」、「あなたの命を守るために必死になってくれた人は悲しまないか」と問いかけ、逃げなければならない理由に納得感を持ってもらうことだ。最後に避難の後押しとなるのは、自らの命を大切だと思ってくれる「誰かの存在」に気付くことなのである。

 このように、自らの命を守ることが他者にも大きく影響することに納得してもらえるかどうかがポイントであると同時に、人々の心に寄り添って〝腹落ち〟するコミュニケーションをとることが本質的に重要になる。

「津波てんでんこ」から考える
家族やコミュニティの意義

 「津波てんでんこ」という言葉がある。これは、東北地方で言い伝えられているもので「津波の時にはてんでばらばらで逃げろ」という意味だ。例えば、あなたが家族を持つ父親・母親で、仕事で家を空けていた際に大規模災害に遭遇し、自分の命をも危うい状況に直面したとする。果たしてその時あなたは、行政や専門家が「自分の命を守る行動をとれ」と促すなかで「津波てんでんこ」を実践できるだろうか。それは私にも困難である。なぜなら、多くの人は子どもや親など「大切な人」の安否を真っ先に思い浮かべるからだ。

 私は、この言葉を先人たちが語り継いできた理由をこう考えている。それはいざという時は「てんでんこできるようにしておけ」。つまり、一人ひとりが自分の命に責任を持ち、それを信頼で結ぶということである。

 私が防災教育に携わってきた岩手県釜石市では、多くの親が、自分の子どもは地震が発生したら絶対に逃げると確信していた。なぜなら、子どもたちが防災教育を通じ、親に対して「自分は絶対に逃げる」、「自分を心配し、迎えに来たり探したりしないでほしい」と伝えていたからだ。東日本大震災では、釜石市の小中学生の生存率が99.8%と高かったが、子どもたちの親の生存率もかなり高かったのである。

 これは釜石市という小さな地区だからこそできたという特殊事例ではない。都市部においてもてんでばらばらに逃げ、自らの命に責任を持って行動することは可能だと私は信じる。災害にはさまざまなケースがあるため、全てを想定することはできないが、例えば首都直下地震が起きたとしよう。その時、自らの意思と力で動ける親子間では、お互いに迎えには行かず、地域の避難場所で必ず合流することや、危険を冒してまで自宅に帰ることはせず、数日間は会社や学校にとどまるといった「行動計画」を家庭やコミュニティの間で話し合い、お互いを〝信頼で結ぶ〟ことが大切である。

 特に都市部においては隣人の顔さえも知らない人が少なくない。コミュニティの崩壊により防災ができず、共助の推進が難しいとの声も多く聞かれる。しかし、今こそ発想を転換すべきではないか。

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