「平成30年7月豪雨」は、死者220人(8月7日現在)に及ぶ甚大な被害となった。加えて被災直後からの猛暑は、復旧復興にあたる人々を過酷な状況に追い込み、被災者を苦しめている。
今回の豪雨災害は、死者・不明者が299人に上った1982年の長崎大水害以降で最悪の被害となったが、近年注目されていた比較的短時間の局所豪雨、いわゆるゲリラ豪雨とは異なる様相を呈した。その特徴は短時間あたりの雨量は激しくないが、長期間にわたり極めて広範囲で大雨が降り続けたことで、大雨特別警報が11府県に発せられるなど、被害が拡大したことにある。このような雨の降り方により、土砂災害は急斜面のみならず緩斜面でも多発し、雨量の多かった地域だけでなく下流域での河川の氾濫が多発した。
地球温暖化に伴う海水温の上昇は、膨大な水蒸気を生み、大量の降雨と台風の巨大化をもたらし、気象災害の常識が通用しない形でわれわれの生活を脅かし始めている。今回の豪雨災害は、わが国の行政主導の防災のあり方を根本から見直す必要を迫っている。
繰り返される行政批判
そこに防災の本質はあるか
今回の豪雨災害において行政は、過去の災害には見られない異例の対応を行った。気象庁は5日に事前の臨時会見を開き、6日午前には特別警報を出す可能性に言及した。同日午後には、九州に最初の特別警報を出した際、今後特別警報の地域が広がる恐れがあると明言するなど、事態の深刻化を予告する情報を発表した。
観測結果や科学的根拠を重視する気象庁が、これほどの強いレベルで予告的に注意喚起を行うことは異例であり、最大限の危機感を持って防災機関としての役割を果たす覚悟を感じた。それに呼応し、各自治体も早い段階から避難勧告などの避難情報を積極的に出すなど、行政の対応は従来に比べて総じて迅速であったと言っていい。
しかし、そんな行政対応があったとしても豪雨は、それを凌(しの)ぐレベルで広範囲に長期間にわたって降り続き、各地で災害が発生した。このような災害があるたび、私にはマスコミから行政対応の是非を問う取材が多数ある。しかし、今回ほど違和感を何度も覚えながら取材に応じたことはない。
特に、「気象庁が特別警報を乱発したことで、国民が適切に危機感を持てなかったのではないか」という記者の質問に同意を求められたことである。