東日本大震災から6年経ち、世間の関心は、震災よりも2020年東京オリンピックへ移っているようにも見える。震災後、盛り上がった反原発デモや復興、絆という文字もメディアではあまり見かけなくなった。
今回「絆」というテーマのもと、震災後から通い続けた被災地での取材をまとめた『絆って言うな! 東日本大震災ーー復興しつつある現場から見えてきたもの』(皓星社)を昨年出版したフリーライターの渋井哲也氏にあれだけ語られた「絆」とは何だったのか、そしてこの6年間について振り返ってもらった。
――もうすぐ11年3月11日の東日本大震災から6年が過ぎ去ろうとしています。震災直後から被災地で積極的に取材を続けてきた渋井さんは、この6年をどう振り返りますか?
渋井:過疎化が進み、忘れられた土地になりそうだった東北に、震災が起きて注目が集まるようになった。ただ、それも結局は一時的なもので、日本全体からすれば、すでに20年の東京オリンピックに目が向けられているのが現状です。
復興のために東北で働いていた人や土木業者に話を聞くと、東京に戻ってオリンピック関連の仕事をすると話していましたしね。要するに、東京オリンピックが話題になればなるほど、大震災のことは忘れられていく皮肉な状況がこの6年間での変化だったのではないでしょうか。
――被災地では、常にどんなことにこだわりながら取材していたんですか?
渋井:子どもに話を聞くことが多かったです。そうすると必然的に親にも話を聞くことになります。
その中で、子どもたちが何を見て、何を感じているのか。例えば避難した子どもたちは育った地域での友達と別れ、それまでのコミュニティを失うことになります。友達だけでなく場合によっては親族や親戚などとも離れることになるかもしれない。そういう時に、子どもたちがどう気持ちに折り合いをつけていくのかに注目していました。
また、親を失った子どもも取材しました。親を交通事故で失った子どもと同じく「あの時、親を行かせなければ良かった」といった感情を持っている子どもたちが多かったのが印象的です。
――被災した子どもたちは取材に応じてくれるものなんですか?
渋井:取材前は話してくれないかなと思っていたのですが、意外と話してくれましたね。中には「最悪ですよ。地震に津波に原発の三重苦ですよ」なんて率直に話す子もいました。