東京に住んでいる人にとって東北は、米や酒の産地とイメージする人が多いと思います。そういった意味では前々から世話になっているという意識があった人もいると思うんです。でも、震災が起きるまでほとんどの人が福島でつくられた電気を使って生活をしているという意識はなかった。
それにもかかわらず、東京では「反原発だ」「東京電力が悪い」と震災後騒いでいました。しかし、そもそも迷惑施設である原発を、どうして福島の過疎地域に設置しなければならなかったのか。そこには過疎地と都市部の経済構造が根本にあるわけなんです。それに対し恩返しが出来ていない。
福島だけでなく、栃木県の那須では1998年に、那須豪雨と言われる死者22名を出した水害がありました。その時に、栃木県出身の私は産業廃棄物が大量に流れるのを目の当たりにしました。北関東や福島は、都心部の産業廃棄物を違法に投棄する場所だったんです。言い方は悪いですが「ゴミ溜め」だったんです。でも、都心部の人には、そういう自覚はないですよね。
那須豪雨にしても、福島第一原発の事故にしても、北関東や福島に迷惑施設を押し付けているという自覚を持てるチャンスだったんです。それなのに、そういう自覚を持たないままに、反原発などと叫んでも、根本にある経済構造に目を向けなければ、何も変わりませんよね。
――恩返しという意味で東京の人間に今からでもできることはありますか?
渋井:いくつかありますが、手軽にできることは、過疎地の農産物などを買うことです。あるいはそういった地域に旅行に行く。これらは東北に限りません。日本には過疎地がたくさんありますからね。そういう場所でお金を使うことは、小さいけれども出来ることです。
また都心部には、働き方改革として週3日勤務という企業も現れています。そういう企業で働く人は、週の半分を過疎地に移住するというのもひとつの選択肢だと思いますね。
――本書では「絆」の他に「分断」という言葉もよく見かけました。この言葉も本書を語る上でキーワードになるのかなと思います。どんな場面で分断を感じましたか?
渋井:1つは人間関係の格差です。先程、一部の人はソーシャルネットワークを通じて、被災地以外の人とつながっていると言いましたが、多くの人がソーシャルネットワークをうまく使いこなせるわけではありませんから、当然人間関係の格差が出てきます。
また避難所によっては、キャラが立ち、目立つ人がいます。そうすると、その人を目当てに報道陣が集まることで報道回数が増え、寄付金が集まりやすい状況が生まれました。
逆に、そういう人がいない地域はなかなかスポットが当たりにくいという現実がありました。被災地の中にもメジャー被災地とマイナー被災地があるわけです。