2011年3月11日の東日本大震災発生より5年を経た本年、奇しくも熊本では「熊本地震」が発生。新たなる大震災発生の中、東日本大震災は過去のものとなりつつある。
そんな中、『東京タクシードライバー』『東京湾岸畸人伝』などで知られる、ノンフィクションライターの山田清機氏は、福島県いわき市に足を運び、いまだに仮設住宅で暮らす被災者や元原発作業員、ボランティア活動に携わる人々などを取材し続けている。震災から5年の節目を過ぎて、なぜ今「いわき」なのか。
ウェッジ書籍部担当部長・海野雅彦 山田さんは東日本大震災から5年を経たいわきの状況をどう見ていらっしゃいますか。
山田清機 世間的に東日本大震災は5周年を迎え、“幕引き”という雰囲気が強い。今年は熊本地震が発生したが、これは東日本大震災のことを忘れさせたい人々にとっては都合がよいタイミングだったのではないか。
福島県いわき市の南台応急仮設住宅では、3月11日に合わせて、合同慰霊祭が開催された。一方で、双葉町では3月11日に慰霊祭を行なっておらず、温度差がある。
慰霊祭を主催した福田一治さんや、中谷祥久さん(いずれも福田工業)の根底にあるのは、“復興”とは震災の前の状態へと町を戻すこと、という考え方。しかし、インフラが破壊された一方で、中間貯蔵施設が建設される町に帰ってくる人は一体どれほどいるのだろうか。
海野 私の叔父は福島第一原発の下請けで働いていました。しかし、原発事故が起きて以降、原発に直接関わっていた住民とそうでない住民の間、あるいは多くの賠償金を手にした住民とそうでない住民、といった具合に、地域が2つに分裂していることを感じると言います。
山田 福島第一原子力発電所事故の発生によって、県内では除染や土木の需要が生まれて潤う人々もいるようだが、そうでない人もおり、福島の中核都市であるいわき市は、多面的だ。被災の状況や地域によってもらえる賠償額に違いがあるのは確かだが、それによって住民間に軋轢が生まれた、というストーリーはマスコミが作った面もあるのではないか。避難民と元々の住民との軋轢については、マスコミによって必要以上にクローズアップされた印象が強く、どれほどの軋轢があるのかは実態としてはわからない。
仮設に暮らしている人たちについても“かわいそうな人たち”という前提で取材が行われ、フラットな視点で取材がされていないように感じる。いわきに関するマスコミの報道は疑ってかかる必要があるのではないか。
海野 マスコミの報道に対し、被災者の方たちはどのように見ているのでしょうか?
山田 仮設に暮らす被災者の方たちはたびたび「カメラきてないよね? テレビきてないよね?」と聞いてきたし、こちらのアイデンティティーに非常に敏感だ。放送しないことを約束した上で話したことが、テレビで放送されたこともあったという。震災を忘れないためにメディアが果たすべき役割はあると思うが、一方でメディアは被災地を土足で踏み荒らしている印象が強い。