『いわきより愛を込めて』

2016年7月7日

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海野 被災地には多くのボランティアが今も残っています。彼らもマスコミ同様、いわば”外部の人間”ではあるわけで、ボランティアの方々についてはどう思われますか。

西川珠美さん(左)、筆者、秋元義宜さん(右)。

山田 川内村で頑張っている西川珠美さんや、NPO法人「みんぷく」を立ち上げた赤池孝行さんにしても外部からの注目の目は、彼らにとってある種の“燃料”となっているのかもしれない。

 震災は忘れられてはならず、復興を支援する“力”を減退させてはいけないと思うが、震災からの時間の経過は、その“力”に果たしてどう作用するのだろうか?

 メディアは移り気で“旬”な方へいきたがるが、そのような外部からの注目が少なくなったとき、ボランティアのモチベーションは保てるのか、何を原動力としいつまで続けるのか? そういったことも見定めていきたいと思う。

海野 定点観測的に長期で見ていく必要があると。

山田 自分のように後から遅れて入って行った人間にもやれることはあるのではないか。誰も話題にしなくなったことを継続的に見ていくことで、見えて来ることがあるかもしれない。

海野 長期的に取材を継続させていく、ということですが、ご自身でも被災地に思い入れを感じていらっしゃるのでしょうか。

山田 被災地に惹かれるもうひとつの理由としては、福田さんと中谷さんの人としての面白さに惹かれているということもある。二人とも“復興”は3.11の前の状態に戻すことであり、そのためには声を上げ続けなければならない、諦めない、という意思表示をしている。福田さんたちは3.11当日に仮設で合同慰霊祭を仕掛けてタイマー付時計で震災発生ちょうどの時間を測って、黙とうを捧げていた。その姿勢に、彼らの「意地」を見たと思った。

 しかし、彼らのような考えを皆が共有しているわけではなく、福田さんたちのような人々は下手をすれば損をするかもしれない。双葉町がなくなってしまう、生まれ育った故郷がなくなってしまうという事態に直面していても、時間の流れの中で、人の心は変わってゆく。

 原発は「絶対安全」と言われていたにもかかわらず、事故が起きた。事故により避難を強いられた人たちは、「ちょっとヤバそうだから避難しよう」という軽い気持ちで家を出たまま自宅に帰れなくなった。彼らの人生が変わってしまったことに対する責任の所在が不明瞭なままに、なし崩しに原発の再稼働が始められた。

 民主主義とは、最大多数が合意した方向に物事を進めていくことだと思うが、多数が合意した方向と異なる方向に一人でに進んでいってしまうとワリを食う。物事がなし崩し的に推移する中、疑問を唱え続け、抗おうとする福田さんたちのような人たちに勝ち目はないかもしれない。それでも異を唱え続ける彼らにシンパシーを感じる。

海野 なぜ彼らのような人々に山田さんはシンパシーを感じてしまうのでしょうか。

山田 「Yes」と言ってしまうと、自分が自分でなくなってしまう瞬間というものがあるのではないか。例えば、紅茶とコーヒーが用意されていて、自分はコーヒーの方が飲みたいのに、その場にいる他の人間との力関係で「紅茶がいいです」と言う時、少しだけ自分が自分でなくなる。日本では、そんな場面でも「美味しい紅茶ですね」と言うことで、事を荒立てずに物事をより建設的な方向に持っていくのが “大人”であり、良いこととされる。

 原発事故「原発は安全です。メルトダウンはあり得ない」などとテレビや新聞で断言した”識者”が多くいたが、事故が起きた今、彼らの責任はいったいどうなるのか。

 しかし、「そういうことにこだわってはダメ。いつまでもそんなことにこだわっていたら物事が前に進まない」という人の方が”大人”だと言われる。しかし、「だって安全って言ったじゃん!」とこだわってしまうのが自分であり、そのような疑問を持ち続ける姿勢が物書きとしての自分自身を成り立たせているのだと思う。

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