ただ、地震以外のことはよく話してくるのに、地震のこととなると途端に口を開かなくなる小学生がいたんです。その子のことが気になり、地震のことを話してくれるまで、3、4回と避難所に通い続けました。その間にその子は私がどういう人間かを観察していたようです。
すると、その子から地震が起きた時のことを話してくれました。
――その子は地震でかなり辛い経験をしたことが理由で話してくれなかったんですか?
渋井:その子は、地震発生時には自宅にいたそうです。その後、高台にある近所の神社に避難し、津波を眺めていると、自宅が津波で流されるのを見たと話してくれました。おそらくそのことでかなり動揺していたのでしょう。
ただ、その話を聞いて本当に自宅が流されるのを見たのかが気になったので、その高台に行ってみたんですが、角度的に見えないと思うんです。その後、お母さんにも確認したら、自宅周辺の家の屋根はみんな同じ色だから、自宅が流されたと思ったんじゃないかとのことでした。ただ、その子にとって、自宅が流されたことが真実です。3人兄弟の長女だったので、しっかりしなければと考えていたのかもしれません。
――もちろん中には一切話さない人もいるわけですよね?
渋井:いますね。取材だから話さないのか、そもそも話したくないのかはわかりません。取材に応じないのは、私より前の取材が過剰に報道したことで嫌になってしまった人もいたようです。また、今だからこそ、話せる場合と、以前は話していたが、現在は取材に応じない人、様々です。
――そうした取材の中から「絆」をキーワードとして今回本を出したわけですが、その理由とは?
渋井:福島の人から取材中に「絆って言葉が嫌いだ。絆は、そもそも家畜などをつないでおく綱のことだ」と言われました。そこで「絆」の語源を『大辞苑』(小学館)で調べると「馬などの動物をつないでおく綱」と書いてあった。そんなことを考えていたら、編集者から「絆」というテーマで本を書かないかと依頼されたんです。
――「絆」という言葉を色々なところで目にした人も多いと思います。語源としての意味ではなく、つながりという意味でこの言葉はどんな意味を持っていたと考えていますか?
渋井:キャンペーンとしては良かったと思います。東北の人たちと「つながらなきゃ」というある種の強迫観念を持った言葉だったので。ソーシャルネットワークをうまく活用出来た一部の被災者は今でもつながりを持っています。また、メディアでよく「絆」という言葉も見かけたと思うかもしれません。NHKはキャンペーンなどでは「絆」という言葉を使ってはいるんですが、報道ではその言葉を強く打ち出していないんです。