海洋の自由を重視する日米
海洋の支配を重視する中国
現在、東シナ海や南シナ海で起こっていることを、単に小さな島の領有権をめぐるものと考えてはならない。また、単に周辺海域の漁業権や、豊富に眠るとされる海底資源をめぐる対立と考えてもならない。その背景には、海洋の自由を重視する日米の海洋戦略と、海域の支配を重視する中国の海洋戦略の角逐があるのだ。
東アジアの戦略的均衡は、日米が西太平洋で海上優勢を保って海洋の自由を維持し、中露の陸軍力がアジア大陸を席巻する中で、双方とも相手の勢力圏に十分な通常戦力を投入することができなかった事実に依拠している。だが、1980年代に改革開放路線の下で中国の経済発展が始まり、冷戦の終結によって北方ソ連の脅威から解放されると、中国は歴史上初めての本格的海洋進出を始めるようになった。中国の海軍力増強はアジアの戦略的均衡に変化をもたらす不安定要素となっている。
歴代の中華帝国は自給自足の大陸国家であり、脅威は陸の国境線を超えてくることが常であった。海洋進出に関心を示すことは、明の一時期を除けばほとんどなかった。一方、19世紀半ばに西洋列強による海からの侵略により、中国は「屈辱の世紀」を経験することとなった。中国の戦略的脆弱性は海にあるのだ。
このため、中国共産党の指導の下で、人民解放軍海軍は当初沿岸防衛を重視した。沿岸防衛とは、沿岸部に要塞を建造して敵対勢力による上陸を阻止するという戦略的にも戦術的にも防御的な思想である。
毛沢東の遺訓・「積極防衛」
しかし、人民解放軍海軍は80年代にそれまでの沿岸防衛思想を改め、日本列島から台湾、フィリピン、南シナ海にいたる第一列島線、さらには日本から小笠原諸島、グアムを結んだ第二列島線への敵対勢力の接近を阻む「近海積極防衛」を目指すようになった。