日本の年金は不公正だ
70年代の後半からは、生活できる年金が支払われるようになった。それ以前に30歳だった高齢者は、年金制度がない時代に、自分たちは親の面倒を見たのだから、自分たちが若い世代からプレゼントをもらうのは当然だと主張するかもしれない。しかし、その主張は、平均としては事実ではない。多少の面倒は見ていただろうが、現在のような豊かな高齢者などいなかった。当時の、成瀬巳喜男監督の映画を見れば、子供たちは自分勝手で、たいして親の面倒など見ていなかったのが分かる。年金という国家の制度によってはじめて、自分の子供はおろか、他人の子供にまで高齢者の面倒を見させることが可能になったのだ。
年金が最低限度のものならば、国民の誰かが高齢者にプレゼントするのは当然である。それが社会保障制度と言うものだからだ。しかし、現行の年金は、社会保障としては高すぎ、しかも、若い人々の負担になっている。
不公平なのは、豊かな人々が、退職後も、現役世代の年金保険料によって豊かな生活を送ることだ。月23.6万円とは、年収280万円ということになる。ここからは年金保険料を取られないから、実質的には年収300万円を超える。非正規労働が増加して、ボーナスもなく、月15万円しか稼げない若者が急増している時、これが正しいことだろうか。
社会保険庁があるから、政府がお金を配ってくれると誤解する。しかし、お金は社保庁からではなく、現役世代から来る。社保庁が、その間にたって、仕事をさぼり、無駄にお金を使ったのは事実だ。しかし、より大きな問題は、高齢者が、現役世代から、納めてもいない年金を得ようとしていることだ。
収入の低い若者が増えたことに、現在の退職世代に責任があることは間違いない。現在の退職世代が現役世代であった時に、経済政策を誤って長期不況をもたらしたか、経営能力が不十分で企業を発展させられなかったか、不況でも解雇できない正社員であったがゆえに新卒の正規雇用を減らしたか、若者を教育し訓練するのに失敗したかのいずれかの理由で、若者は貧しくなったのだ。自分は違う、若者のために立派な仕事を作ったと言う方もいらっしゃるだろうが、現在の高齢世代が、全体として若者を貧しくしたのは間違いない。貧しい若者から年金保険料を取って、豊かな老後を維持することは、誤っているだけでなく、不可能なことになっている。不可能なことなら、一刻も早くやめた方が良い。