04年にNPO法人「日本料理アカデミー」をつくり、海外シェフの日本料理研修を始め、11年には「日本料理ラボラトリー」を立ち上げ、京都大学と連携して月1回の研修会を続け、味わいの解明に取り組む。そして日本の食文化「日本料理」の無形文化遺産登録を目指すための多方面の活動も繰り広げている。
「そのためには文化を継承するシステムの有無が問われる。京都府立大学に日本料理の専門学部ができます。文化を研究する研究者がいるか? 日本料理ラボのメンバーから4人が京大大学院に入りましたんや」
アカデミックな継承と研究の核ができれば、そこを中心に検定制度も目指す。
「御曹司だけがいきなり花道で見得をきることはできなくなります。みんなが公平に評価され、努力したもんが報われないと日本料理全体のスキルが落ちますさかい」
日本料理を世界に、という20歳から抱き続けた村田の夢は、今、ゴールが見えるところまでやってきた。しかし、肝心のお膝元の日本で、日本食文化が崩れてきている。世界と同時に、日本の大人や子どもへの食育活動も積極的に展開しなければならない。
村田にとって、まさに今が正念場。八面六臂の活躍で超多忙な日々、京都の本店、露庵(ろあん)菊乃井(木屋町店)、赤坂店を行き来して、できる限り包丁を握るという。
「お客さんが『おいしかった』って言うてくれはると、うれしいやないですか。うれしいと思えるとこにいると元気になれますさかい」
昼と夜の間の休憩が終わり、そろそろ火点し頃。キリッと前掛けを締め直して板場に立つ。祖父から受け継いだ新しいことに挑戦する起業者の熱血と、父から受け継いだ料理人の魂が、村田の中でふたつながら脈々と波打っている……そんな毅然とした後ろ姿を見送った。
(写真:赤城耕一)
村田吉弘(むらたよしひろ)
1951年、京都・祇園の老舗料亭「菊乃井」の長男として生まれる。大学在学中にフランス料理修行のため渡仏するが、日本料理の道を選ぶ。卒業後、名古屋の料亭で修行し、76年に「菊乃井木屋町店」を開店。93年より3代目菊乃井主人となり、これまでにない柔軟な発想の料理を提唱、日本料理の真価を世界に伝える活動にも尽力する。
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