ヒットメーカーの舞台裏

2014年2月25日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 開発がスタートしたのは11年の夏で、ITソリューション部営業課リーダーの田中俊哉(29歳)が主担当として推進した。ナカバヤシといえば、とりわけ50代以上の人には「フエルアルバム」が思い起こされるだろう。台紙の追加を可能とした「増える」アルバムで、1968年に発売されると大ヒットした。

 フエルアルバムを含め製本タイプのアルバムは現在でも一定の需要があるものの、カメラのデジタル化で横ばい状態という。「スマレコ」シリーズは、そうしたデジタル時代に対処するため、新旧技術を融合させた「デジアナ文具」であり、同社の期待分野となっている。

 開発ではスマホで何ができるか、田中はサポート役の上司とアイデアを練った。その結果、記事の切り抜き(スクラップ)用のペンや電子ダイアリーなどの商品化が決まった。さらに、もっと役に立ってパンチのあるものをと、ネタ探しに取り組んでいたある日、「うそのような本当のできごと」(田中)が起きた。

 上司の夢に、シートで隠して暗記する学習風景が出てきたのだった。田中は「先輩の執念ですね」と笑うが、同時に「これはいける」と思ったという。

 それまで電子商取引システムなどを手掛けてきた田中は、ソフト開発の協力企業とともにアプリの開発に着手し、マーカーペンの製作にも乗り出した。ペンはマーキングしやすく、しかも写真撮影した時にその部分をスマホに正確に認識させる機能が必要だ。同時に市販のマーカーペンなどでは、このアプリが使えないようにするのも、ペンで収益を得るというこのビジネスで、欠かせない要件となる。

待ち受けていた「落とし穴」

 田中が最初に考案したのは、文書修正用テープを使ったペンだった。色は市販ペン対策も考慮して半透明のグリーンとオレンジの2色とした。初期の試作では機能も十分で、徐々に商品化への道筋が見えてきた。ところが、アプリはほぼ完成、ペンも量産に向けた最終の試作段階というところで、思わぬ落とし穴が待っていた。マーキングしたところが光るため、スマホ側の認識がうまくできなくなったのだ。

 テープが板状だった初期の試作品と、コイル状に巻いた量産試作品では貼り付けた際の光の反射具合が微妙に異なり、後者ではテカリが出やすくなっていた。すでに開発に約1年を要していた。協力メーカーとも協議し、総合的に勘案すると、新たな方式に転換するのが妥当だということになった。

 

 あと一歩というところだったのでチームの落胆は大きかった。だが、田中は「絶対にいい商品になる」との強い確信をもち、退く考えは「一切なかった」という。

 ここから通常のインクによるマーカーに転換した。最初は単色で、市販マーカーにはない色を試したが、認識が不調となるなどうまくいかない。結局、テープの時のようにグリーンとオレンジの2色を使うマーカーペンに行きついた。それぞれの色の線幅の決定やペン先の開発には更に半年ほどの試行錯誤を重ね、最適仕様に導いた。

 田中らが手掛ける「スマレコ」シリーズはナカバヤシとしては初のスマホ連動商品であり、12年2月に第1弾を発売、現在9アイテムへと広がっている。田中は「アナログ文具を元にしたデジタル系文具の可能性は、まだまだ大きく、面白い」と言う。20代ながら事業構造の転換という大役も担うだけに、「これからも新しい商品の開発にチャレンジしたい」と、目を輝かせる。(敬称略)

( 写真・井上智幸 )

■メイキング オブ ヒットメーカー 田中俊哉(たなか・としや)さん
ナカバヤシ ITソリューション部 営業課 リーダー

1984年生まれ
三重県四日市市に生まれる。幼少の頃から絵を描くことを好み、小学生の時分の得意科目は図工であった。無類のマンガ好きで、乱読はもちろんのこと、教科書の隅を使ってのパラパラマンガ制作は日課であった。小学1年から剣道を始め、中学では2段を取得。剣道は、高校、大学(サークル)と続けた。
2004年(19歳)
大阪芸術大学芸術学部デザイン学科へ進学。高校ではマンガに加えてテレビゲームにも熱中。勉強が手に付かず、1浪しての入学であった。大学では「テレビゲームを制作したかった」が、入学後はウェブデザインに興味を抱いた。勉学に励む一方、大学主催行事の実行委員も務め、各種イベントを手掛けた。行きつけの飲み屋で知り合った人々から「芸大生ならお願いしたいものがあるわ!」と音楽バンドの宣伝チラシや飲食店のメニュー表、挙句の果てはバスの塗装まで頼まれたが「喜んで引き受けた」。3年時のインターンシップがナカバヤシとの出合いであった。このとき、アルバムやファイル、CDケースなど、身の回りにナカバヤシ製品が溢れていることに気付いた。
2008年(23歳)
インターンシップで好印象を抱いたこともあり、就職活動でもナカバヤシを志望。入社後、メディア開発室に配属となり、インターネット上で注文を受け、製作するフォトブックサービスなどを担当した。入社4年目の11年からスマレコの開発に着手し、現在に至る。

◆WEDGE2014年2月号より










 

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