毎年200戸の分譲
ポイントは、毎年おおむね200戸しか分譲しない原則を死守していること。一度に大量の住宅を供給すると、街の年齢別の人口構成が乱れ、かつての団地のように一挙に高齢化が進むからだ。
また、足りないインフラ、設備は山万自らがつくってきた。
1982年に戦後初めての鉄道事業許可を受けて、83年には街の中を一周するユーカリが丘線を全線開通させた。さらに保育園や高齢者のための福祉施設を設け、18年には病院をグループ傘下に入れ、20年には路線バスを開業、25年4月には介護士や保育士を養成する国際福祉専門学校が開校する。
この街には「エリアマネジメントグループ」という、いわば住民の〝御用聞き〟スタッフが7人いる。
彼らの仕事は、入居時に取得した住民の家族構成など、細かい最新のデータを基にあらゆるお世話をすることで、空き家が出れば入居者を探すなどすぐに対応する。東日本大震災直後も独居老人の世帯を回り、安否確認や困りごとがないかなどを聞いて回った。
こうした行政の手が届かない細かいサービスは子ども、働き盛り、中高年と、どの世代からも評価されている。この街に住み続けたいと思う住民が多く、「ユーカリが丘」に住んでいる人が家族や親戚等を近くに呼び寄せる、「近居」という流れが定着しているという。
家を売却して住み替えたいときは、査定価格100%で山万が買い取ってくれるので、この街で一生、住み続けることが可能になっている。
1991年にタワーマンションを6000万円弱で購入したAさん(78歳)は、子ども2人を学校に通わせて30年以上住んできた。「都心に出掛けなくても、この街には何でもそろっているので、家族皆で便利で快適に暮らすことができた」と満足げだ。
林副会長は「ほとんどの街づくりが、マンションや戸建て住宅を5〜10年の間に何期かに分けて建設したら、あとは自治体と住民任せだ。当社は住民からのアンケートに基づいて、将来的に何が必要になるかを見越した持続可能な街づくりをしてきた。すべての住民を満足させることは難しいが、目指しているのは、住民の皆さんの最大多数の最大幸福だ」と話す。
マンション投資が過熱しすぎて、実需で購入することや高経年化したマンションでは管理・維持が困難になっている。その原因の一部には野放図な住宅政策にある。今こそ、中長期的なビジョンを再構築するべきだ。