ワシントン・ポスト紙が、3月3日付社説で、オバマ大統領の外交政策は幻想に基づいている、として、オバマ外交を厳しく批判しています。
すなわち、オバマはここ5年、現実ではなく、彼が考える「世界のあるべき姿」に基づいて、外交を行ってきた。その世界では、戦争の潮が引いており、米国は軍事力を削減できる、他国の指導者は合理的で、国民と世界のために行動しており、侵攻、剥き出しの力、大国間のゲームなどは過去のことである。ケリーはロシアのウクライナ侵攻を「21世紀における19世紀の行動」と言ったが、この思考の枠組みを示している。
不幸にして、プーチンは「21世紀の行動」を受け入れていない。習近平もそうである。アサドは自国民に20世紀型戦争をしている。彼らは他の指導者の不賛同、世界世論などで抑止されない。自己権力の維持に関心を持っている。
オバマは、彼らの行動に責任があるわけではない。しかし、オバマは、彼らが行動する前に考えなければならない、コストとベネフィットの構造を作る主導的な役割を果たし得た。プーチンのクリミア占拠のモデルはブッシュ時代のロシアのグルジア侵攻にあるが、プーチンはソチ・オリンピックを開催し、何のコストも払っていない。中国はフィリピンを脅しつけ、国際的な海・空に一方的な主張をしている。周辺諸国が米国寄りになったことで、中国はコストを払ったとも言えるが、米国が頼れるのか周辺国には自信がない。アサドは化学兵器攻撃でオバマのレッドラインを越えたが、その立場は強化されている。
海外から撤退し、国家建設に集中したいとの衝動は新しいものではない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連崩壊の後にもあった。しかし、そのたびに、米国は、米国の指導力なしでは世界は危険なところになり、米国の繁栄を脅かす、ということに気づき、活動的になった。
今日、民主党と世論は、内向きになることへの衝動につき、オバマを支持している。しかし、こういう国内のムードにオバマは部分的に責任がある。大統領が関与を説かないで、誰がするのか。
ホワイトハウスは、批判者に対して、世界中に兵士を派遣しようとする戦争屋と非難する。経済が駄目なら、指導も駄目になる、と言っている。これはそう単純な問題ではない。