69年に阪急に入団すると、1年目から1軍に帯同。当然、東京への遠征は新幹線利用となった。が、当時の阪急は財布の紐が固くて、1軍の選手といえどもグリーン車には乗れず、普通車指定券の切符が配られた。「12球団でもグリーン車に乗れないのは、阪急だけやなかったですかね。カッコ悪いから、選手たちは自分で金を払ってグリーン車に変更してましたよ」。
1シーズン106盗塁、通算1065盗塁などの記録をもつ。西宮球場でサラブレッドと競走して勝利した逸話も(NIKKANSPORTS/AFLO)
数年後、選手会の働きで阪急の選手もグリーン車利用が基本となった。「だけど当時は食堂車があったでしょ。東京から帰るときは、結局、みんな食堂車で酒を飲んでましたから、グリーン車の席が空っぽのことが多かったですね」。
福本さんも新幹線で何かを食べるのは好きで、特に0系の新幹線に備わっていた、立食スタイルのビュッフェがお気に入りだった。「あんなん、今もあったらいいですよね」と懐かしむ。
新幹線に乗る際、新大阪駅で購入するという「とん蝶」
現状、それがかなわないので、野球中継の解説の仕事で、東京や名古屋に行くときは、新大阪駅で、おこわに塩昆布や大豆などをまぶした「とん蝶」という食品を買って、新幹線に乗り込むことが多い。
本業に話を戻すと、プロ2年目から打撃も走りも開眼。70年からは13年連続でパ・リーグの盗塁王となり、子供たちの人気を集めた。移動中や練習後にサインを頼まれることが増えたが、断ることはなかった。
「プロに入った年のオープン戦で、長嶋さんを間近で見たからです。新人の僕にとって、長嶋さんは当時すでに雲の上の人。それなのにサインにできるだけ応えていました。これは見習わなあかんなと思いましたよ」