2024年7月27日(土)

この熱き人々

2014年11月18日

 さらに野菜の味を生かすために、調味料を減らして薄味にしたら減塩ブームが追いかけてきた。時代の流れの先を読めていた。

採りたてのねぎのブーケを豪快にグリル

 「食材というひとつの窓から眺め、生かすことを考えてきただけなんですけどね。在来野菜は個人がささやかに守ってきたものだから、初めて見るものばかりです。名前も料理法も知られていない。だから、まず好きだと思い込んで、ひたすら食べ続ける。野菜は人間にとっていい成分と悪い成分を持っていて、食べ過ぎると中毒を起こす。その時に何がほしくなるか体が教えてくれるんです。ああ、お茶が飲みたいとか豚肉がほしいとか油が恋しいとか。それが相性のいい組み合わせになる。求め合う素材を共鳴させた時に、料理は最もおいしくなるんです」

 店が評判になり、テレビで紹介されると、客がどっと押し寄せる。ついでに、出身地を県境と曖昧にしても、借金取りもどっと押し寄せる。それでも知ってもらうほうがいい。脚光と暗闇が相半ばする時代を乗り越えて、アル・ケッチァーノも奥田も生き抜いてきた。奥田には、とりわけ寒い冬ととりわけ暑い夏に鍛えられたしぶとい庄内の在来野菜に似たたくましさが感じられる。

書きためたレシピノートにはシェフとしての歴史が詰まっている

 夕暮れが濃くなり、夜の営業が始まる前、また奥田は車のキーを握って発進させた。向かった先は、広大な土地にポツンと建った居抜きの事務所。いつかここにオーベルジュを建てたいのだと話す。泊まってゆっくり食事を楽しんでもらいたいという夢は、父が温め果たせなかったもの。ここには、修業時代、寝る間を惜しんで書き記した料理の体系や季節ごとの食材、レシピなどを記した膨大なノート類があった。最後まで乱れのない几帳面な細かい字が、奥田の慎重で根気強い性格を表しているように思えた。

 料理人として腕を振るう。親善大使として動き回る。農家と消費者を結び、大勢のスタッフを育てる。全国に展開しつつある奥田がプロデュースする店との連携。来年は食がテーマのミラノ国際博覧会の日本館のサポーター役が待っている。

 「とにかく時間の密度を濃くして、5倍速で生きてる感じですね」


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