日本製品が世界で売れなくなったのは、技術力の優位性がなくなっただけではなく、
営業マンの力量が低下したからではないか……。自社のカメラを世界に売り、そして世界のカメラを日本で売った“暴れ馬”に営業の極意を聞いた。
「これが世界初、暗い中でも照明なしにフルカラー映像が撮影できるカメラですわ。何はさておき実物を見てください」。そう話すのは、1933年(昭和8年)創業のカメラメーカー兼商社の駒村商会(東京都中央区)社長の駒村利之さん(68)。180センチをゆうに超す身長で、グレイヘアに高い鼻、低音だがよく通る声……。映画俳優みたいだなぁ、そういえば誰かににている……そうか、リチャード・ギアだ。
そんなことを思いながら話を聞いていると、駒村さんは外光を遮る分厚いカーテンを閉じ、蛍光灯のスイッチを切った。動きにも無駄がない。
「さぁ、見てください」とビデオカメラを手渡された。今年2月、駒村さんが開発した『Falcon Eye KC2000』だ。
希望小売価格は、なんと250万円。触るのが怖くなる価格だが、ファインダーを覗き込んでみると驚いた。暗い部屋のなかで、肉眼ではシルエットだけになった駒村さんだったが、白いワイシャツを着た姿をはっきりと見ることができた。
売らなければ旅費が足りない
駒村商会は、駒村さんの父と叔父がそれぞれ16歳と18歳で創業した。創業時は京都の御所で観光客の写真を撮って売っていた。その後、カメラの小売店、問屋、現像所を経てカメラメーカーとなった。
敗戦後、警察庁が鑑識用のカメラを求めていることを知り、京都の大手企業、島津製作所などに声をかけ、カメラの開発に着手した。これが「ホースマンPC101」として警察庁に採用され、防衛庁にも納めることになった。
一般向けでは、写真館を中心に営業をかけたが、「日本製はダメ」と誰も相手にしてくれなかった。そこで叔父が目を付けたのが天皇陛下だった。当時、小西六写真工業(現コニカミノルタ)の嘱託社員が皇室の専属写真家だった。その写真家に「ホースマン」を渡して、カメラを使ってもらえるように依頼した。