海外に売り込む一方で、海外のカメラ、レンズメーカーとは日本での輸入代理店契約を結んだ。こうして事業は順調に拡大していった。
「“営業“という学問はありません。営業力を付けるには、人間力を磨いていくしかないのです」。日本製の商品に競争力がなくなった背景には、駒村さんのような営業力を持った人が少なくなったことも影響しているのかもしれない。
2000年を過ぎた頃から、デジタルカメラの普及が進み、銀塩需要は減っていった。「手仕舞い」のタイミングを見計らいながら2012年、輸入代理店の権利などを他社に譲渡した。
駒村さんは「個人としてコンサルティングでもして行こう」と考えていたが、実際にやってみると、やはり物足りなかった。そのとき思い浮かんだのが「暗視カメラ」だった。国際標準は緑の映像。なぜ、こんなに見づらいものが国際標準なのか? カラーにできないのか? そんなことを考えていると、某大手のビデオカメラメーカーの技術責任者だった知り合いがいるベンチャー企業と出会った。暗視カメラの件を話すと「できる」と即答。開発に着手することになった。
今は、自衛隊や警察などを中心に営業をかけており、海外の軍用や、警察関連からも引合いが来始めている。また、米国の「ビッグフット」や「UFO」を探す団体から問い合わせが来たり、UAEからは「石油施設の監視に使いたい」などという問い合わせが来たりしているという。
「ドイツのカメラに比べると、日本のカメラは今でも随分安いです。せっかく、高い技術があるにもかかわらず、値段は安い。でも、それは日本の企業がそうなろうと志向しなかったからではないでしょうか。スーパーカーのような“スーパー”な商品を作ろうとしてこなかった」。今回、250万円のビデオカメラを開発した背景には駒村さんのそんな思いもある。
「若いもんには、先輩が新しい選択肢を見せてやらんとアカンのですよ!」。駒村さんの挑戦は続く。
(写真:井上智幸)
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