2024年12月22日(日)

経済の常識 VS 政策の非常識

2015年1月1日

 韓国政府のシンクタンク、保険社会研究院(The Korea Institute of Health and Social Affairs, KIHASA)に招待されて2014年11月7日、「社会保障の将来」というシンポジュウムに行ってきた。OECDで、高齢化で社会保障は大変なことになるから、この問題について、2060年までの財政推計をして、どう解決したら良いか、皆で知恵を出し合おうとなって、参加国を募っている。KIHASA は、この問題について海外の研究者を集め、国際シンポジュウムを開いたのだ。本来なら、日本も政府が参加し、政府が委任した研究者が集まるべきだったのだろうが、日本政府は参加していない(日本は2025年までの社会保障の予測しかしていない)。そこで、たまたま2060年までの将来予測をしている私の論文が目について(その要約は私の『若者を見殺しにする日本経済』第2章、ちくま新書にある)、招待された訳だ。

 日本は課題先進国として、世界の重要課題の解決に貢献できるなどと言う人が多い。しかし、世界中が共同して課題に取り組もうというプロジェクトに参加しないで、そんなことができるはずはないと私は思う。

参加しないのはぼろが出るからか

 なぜ参加しないのだろうか。OECDがこのようなプロジェクトをしようと言っていることは知っているはずだ。OECDには、日本政府の役人が多数職員として働いている。OECDの事務局の推計方針では、社会保障支出を9つの項目に分けて推計することになっている。また、推計の方法でも、OECDが指針を出している。これが面倒であることは分かるが、その指針通りにしている国はないようだ。自国で重要と思われる区分で、できる範囲でしても何も構わない。

 韓国でのシンポジュウムに参加していた米、独、韓のいずれも、OECDの指針のようにはしていなかった。ともかく推計することが面倒だったということはあり得ない。ただの大学教員である私が一人で推計したのだから、多数のスタッフを使える政府に推計できないはずはない。

 2060年までの推計が嫌だったのかもしれない。厚生労働省は、前述のように、2025年までの社会保障の試算しかしていない。しかし、日本が本当に高齢化し、社会保障支出がどうしようもなく拡大するのはその後である。2060年までの試算をすれば、ぼろが出るのが嫌なのだろう。しかし、ぼろが出るから隠しているという国に、課題先進国として他の国にアイデアを提供することなどできるはずはない。

 ただし、後で調べたら、財務省の財政制度分科会に起草検討委員提出資料「我が国の財政に関する長期推計」(平成26年4月28日)というものがあり、これは2060年までの社会保障支出を試算していた。KIHASAは日本の厚生労働省のお友達なので、財務省の推計は歓迎しなかったのかもしれない。あるいは、単に気が付かなかっただけかもしれない。


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