ネットを通じてファンとつながりを持つという村上さんの取り組みは、マスメディアとの距離感とは対照的に、過去何度も行われている。1996年に始まった『村上朝日堂ホームページ』を皮切りに、2002年の『海辺のカフカ』、2005年の『村上モトクラシ』、2006年に再度設けられた『村上朝日堂ホームページ』など、定期的に交流の場が設けられてきた。
メディアを通さずに直接メッセージを届けられる方法として、村上さんにとってはネットが最適なのだろう。ファンにとってもまた、普段の遠い遠い距離を一気に縮めることができる、貴重な場となっている。このように黎明期からネットの力を駆使してきた村上さんだが、2015年という時期に立ち上げた今回のサイトに対しては、これまでとは違う「身構え」も必要になっているようだ。
前回の『村上朝日堂ホームページ』から今回の『村上さんのところ』を立ち上げるまでの9年間で、SNSによるネット上の情報拡散力は爆発的に上昇した。その力は、時として極端で過激な言葉を伴い、思わぬ炎上を引き起こす。村上さん自身はファンに寄せる回答の中で、「言葉を慎重に選んで返事をしなければならない」という趣旨のメッセージを何度も含めている。ネットの持つ負の力についても、十分に検討を重ねた上でのサイト開設だったようだ。
ネット社会への皮肉?
リスクを加味してもなお、ネットでファンと交流することにどのような意義を見出しているのだろうか。フェイスブックもツイッターもやらない村上春樹さんにとって、交流サイトはファンサービス以外にも何か意味がありそうだ。質問の回答を読んでいると、それが少しずつ見えてくるような気がする。
「異性とのLINEのやり取りが続かない」「好きになる人は決まって既婚者」「失恋した心を癒すには」……。年代を問わず女性からの恋愛相談が多く、村上さん自身も「恋愛についてのメールが多い」と感想を書いている。これは、村上春樹作品の女性読者の一定数が恋愛要素を求めていることを表しているのだと思う。
3万を超えるファンと交流ができるこのサイトは、膨大で実のある情報が集まるマーケティングツールとしても、大きな効果を発揮するのではないだろうか。村上さん本人がすべてのメッセージを読むという努力に反応して、ファンからの血の通ったメッセージが集まっているからだ。「期間限定の特設サイト」という、20年近く前とほぼ変わらないやり方でそれを実現しているのは、ネット社会に対する村上さんの皮肉のようで何とも心地良い(ご本人にそんな意図はないと思うのだが)。
「みなさんの寄せてくださったヴォイスが、僕のこれからの仕事にとって、何よりの大きな助けとなるはずです」(『当主ご挨拶』)と村上さんは結ぶ。質問と回答を読んでいるだけでも楽しめるこの交流が、やがて村上春樹の世界の一部になるのなら、ファンにとってもこれ以上の喜びはないだろう。
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