スケッチブック一冊が尽きた
だが、すぐに桜へとはいかない。
「花が細かくて、それをちまちまと描いていくのは手間もかかるし、いやだなあと……」
意欲が内から湧いてこなかった。たまたま手に取った御舟の画集のなかの夜桜を描いた「春の宵」に触れ、あっと思った。道が開けた実感があった。時期を同じくしてある写真集を眺めており、日本列島にはこんなに凄い桜がたくさんあるのか、とおどろいた。
岐阜の谷に巨大な桜があることを知った。淡墨桜である。気の遠くなるような樹齢を重ねるあいだ風雪に耐えてきたという。かつて作家宇野千代がこの老桜の著しく衰える惨状を訴えたことにより保護再生のうねりが起きたという逸話も知った。にわかに興味が湧いてくる。
あるとき一人の画商にその淡墨桜を話題に出したのは、そうした興味の経緯があったからだが、おおげさに言えば宿命的な偶然ということになる。その人の故郷が岐阜県、「ああ根尾谷のですね、あの桜ならよく知っていますよ。ご案内しましょう」となったのだ。昭和58年(1983)のことである。4月、まさに華やいでいる最中だった。
「奥へ奥へと車を走らせ、とうとう遭遇した時はまさに息をのむ思いでした」
その当時、あたりは針葉樹に囲まれた深い谷だ。鬱蒼とした濃い緑を背にして、ぼうっと浮き上がるごときほの紅く白い明るさ、そのボリューム。
「花もさることながら、目を瞠(みは)ったのは幹ですね。太く大きな塊でした」
歳月のあかしのように、ごつごつと盛り上がっている。樹皮には苔が生え、雑草が寄生している。そのように超然と立つさまは威厳に満ち、他を圧する谷の王だった。
「四方に張り出した枝の姿にも目を奪われました。何本もの丸太によって自らの重さを支えられている、大きな生命の風景」
気がつくと、一心不乱にスケッチを始めていた。あっちのアングルこっちのアングルとぐるぐるまわり、全方位から巨樹のありさまをつぶさに写し取っていく。いつの間にか日は落ち、スケッチブック一冊が尽きた。
「この鮮烈な出会いに導かれて、各地の桜行脚が始まることになります」