2024年11月26日(火)

Wedge REPORT

2009年8月24日

もともと理念の結合などない自民党

 こうして自民党が誕生したものの、この経緯からわかるように、自民党の性格はもともときわめて曖昧なものであった。その設立の過程からすれば、民主党主導であるために、吉田路線の見直しが軸になる。そこで自民党結党の趣旨には「自主憲法の制定」が記載されているのである。

 しかし、それは自民党の合意ではない。自由党系、吉田系の政治家は護憲的であり親米であった。GHQの占領政策や「戦後体制」をどのように評価するか、という点についても、まったく異なった見解が混融することとなったのである。

 すなわち、自民党の結党そのものが、いくぶん、政権を維持するための方便という面が強かった。理念や政治目的による強い結合などはなかった。むしろ、理念や政治的な体質を大きく異にする人々の集まりであり。彼らを結びつけたものがあるとすれば、それは躍進する社会党への危機感であった。

 ここに55年体制ができる。55年体制をもたらしものは、社会主義政党の躍進に危機感をもった「保守」勢力の合同であった。ということは、社会主義が崩壊し、社会主義政党の存在意味がほとんど失われてしまえば、「保守」が合同している意味もさしてなくなってしまう、ということでもある。自民党が分裂してゆくのも、当然といえば当然なのだ。

55年体制直前と現在との奇妙な符合

 自民党の分裂の第一段階が、93年の細川政権樹立からはじまって今日の民主党へと行き着くのは、どこか、55年体制の以前を見ているような錯覚を与える。

 しかし、まだしも、かつての吉田率いる自由党と鳩山率いる民主党には、それなりの対立が見て取れるように思われる。それは、「戦後日本」をどのような方向に向けて舵を取ればよいのか、という信念の違いであり、「戦争体験」をベースにしたいわば体質の違い、といってもよかろう。だがそれでも、保守合同によって、「戦後日本」への信念の相違は封印され、革新勢力との対決だけが前面にだされるようになったのであった。まだ、戦後日本の行く末は混沌としていたのである。

 ある意味では、今日も同じ状況である。ポスト冷戦の世界状況の中における日本の先行きはかつてなく混沌としている。次の政権政党が明確な形で、将来の日本の向くべき方向についての指針を示さない限り、「二大政党」による混沌とした政治は限りなく続くことになるであろう。

 想定しうる大きな論点は、グローバリズムへの対応であろう。「日本」の方位を定める軸を、文化的アイデンティティーに置くのか、それともグローバル市場経済にすえるのか、指針を示すべきだ。

 54年12月に鳩山民主党政権が成立した折、朝日新聞は次のように書いている(12月10日付)。

 鳩山民主党は、寄り合い所帯の弱さをもっている。ただ、吉田内閣が国民から飽きられ、未知なものは新鮮だという大衆心理が鳩山内閣を支えているに過ぎない。この内閣が掲げていることは、汚職をさける、秘密独善を排す、対米依存から自主外交へ、であり、これらはいずれも「吉田政治が世論から批判をうけたことはやらない」というだけのことである、と。

 これは今回、民主党が政権をとってもいえることであろう。もし、確かな信念や理念がなければ、仮に民主党が政権をとっても、日本政治の混迷は深まるばかりである。

◆「WEDGE」2009年9月号

 

 

 

 

 
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