2024年12月22日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年2月28日

『孤高の人』登山家Y氏

早朝の高原の湖

 夕暮れ時にホステルのロビーで夕焼けを見ながらお茶を飲んでいたら精悍な感じの日本の青年がチェックインしてきた。少しおしゃべりしたら登山が趣味でベトナム最高峰のファンシーパン山に登頂するためサパに来たとのこと。ベトナムの後はラオス、カンボジア、タイ、ネパールと周遊すると。余りにも話が面白いのでビールを飲みながら夕食を一緒にすることに。最初にベトナム風焼き鳥の屋台にゆき、それから鍋料理の店へ。

 美味しいビールと旨いベトナム料理と楽しい山岳談義で至福のひととき。彼の旅の写真を見せてもらったが風景写真の撮影がすごく上手い。清楚なベトナム美人の写真があったので聞くとハノイ市内の湖のベンチに座っていたら声を掛けてきたベトナム人旅行者でメルアドを交換したと。なかなか隅に置けない。

 Y氏は当時38歳、独身で派遣の仕事をしながら週末に山登りを楽しみ、時には海外遠征するという。私も高校時代に多少山登りの経験があり、テヘラン駐在時代には毎週のようにテヘラン市の北部に聳える標高4千メートル級のエルブルス山脈に登ったものである。

 Y氏は中学時代に山歩きを始め、若いころは山岳会に属して技術を磨いたという。通常の正規雇用の会社員生活では登山活動が制限されてしまうという理由から派遣の仕事をしながら登山活動をしているという。私がY氏の生き方に感服したのは山岳至上主義的な純粋でストイックな生き様である。彼は山に登るために働いて稼ぐというシンプルな生活を長年続けている。「これでは嫁さんをもらうこともできないですよ」と生涯独身を貫く決心をしているという。

 Y氏の生き様は高校時代に読んだ新田次郎の山岳小説の名作『孤高の人』を彷彿とさせた。小説のモデルとなった実在の主人公加藤文太郎は神戸の造船所で見習工として働きながら余暇はすべて登山に費やし、冬季北アルプス縦断単独行を成し遂げる。さらに昭和初めの暗い世相のなかで将来の海外遠征を夢見てひたすら働き、山歩きを続けた。Y氏も『孤高の人』を愛読しているという。

山道沿いのカフェでジャズを聴きながら霧に包まれた渓谷を眺め る

 小説『孤高の人』では主人公が登山行においても人間世界の理不尽に心を痛めることが描かれているが、Y氏の経験談を聞いて愕然とした。Y氏が友人と一緒に数年前に台湾第二の高峰である雪山(Xueshan 標高3886メートル)を登っていたときのことである。途中で下山してきた日本人登山者に出会った。その中年男は登山の経験が浅いようで高尾山にハイキングに行くような軽装であり、疲労困憊して低体温症の症状がみられたのでY氏と友人は登頂を断念して中年男に付き添って一緒に下山した。荷物も持ってやって、肩を貸してゆっくりと下りやっとのことで麓の村に到着。途中で中年男は寒さに震えていたのでY氏が替えの下着や予備の防寒着を貸してあげたという。

 ところが下山した途端に中年男は態度を豹変。自分は何の問題もなく一人で下山できたのに二人が勝手に着いてきたと言わんばかりの態度でお礼の一言もなく、さっさと車を呼んで帰ってしまったとのこと。しかも二人に対して自分の登山経験を自慢して自分は名の知れた経験豊かな医者なので自分の体調は自分で分かっていると吹聴し、これみよがしに二人に立派な肩書が並んでいる大病院の院長の名刺を渡したという。勿論帰国後も一切のお礼の挨拶はなかったという。

 私はこの話を聞いて思わず逆上してしまったが、Y氏は静かに「世の中にはそういう人もいますね。残念ですが」とのコメント。Y氏は山岳至上主義の人生を生きる過程で様々な人間社会の理不尽を経験して人格を磨いてきたのであろうか。


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