2024年12月22日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年2月28日

ユースホステルの“眠れない夜”

ベトナム風焼き鳥の屋台、カラフルな具材の串焼き

 ユースホステルの大部屋は四人部屋でY氏と私の他に中華系のカップルがいた。女性はアラサーの感じのいいインテリっぽい印象の台湾人。大学で外国人に中国語を教えていると。男はマレーシアから来た華僑の末裔でやや肥満系。二人とも中国語を話すので私も一緒におしゃべりしたが、ふたりはこの旅の途中で知り合って仲良くなったとのこと。男は素直に彼女と知り合って幸せだと何度も繰り返していた。

 ところが消灯して寝ていると華僑男の鼾が次第にひどくなり、そのクジラのような轟音で何度も目が覚める有様。翌日私はY氏に別れを告げ、寝不足のまま次の目的地であるベトナム独立戦争の激戦地ディエン・ビエン・フー(DBF)に向けてマイクロバスに乗った。

「それって、Yさん、あなたは高倉健ですか?」

訓練中の警察のレスキュー部隊

 後日談がある。インドシナ半島周遊から帰国後、多忙なY氏のたまの休日に一杯やりながら旧交を温めた時のことである。私はベトナムのホイアンにおける美少女との不思議な五日間の交流を語った(委細はこの連載の第5回以降にて)。Y氏も遠くを見るような表情で私と別れてからのサパでの出来事を語った。

 私がサパを出立した当日に入れ替わりにベトナム美人がユースホステルにチェックイン。果たして彼女はY氏がハノイの湖で出会った女の子であった。二人は奇遇を祝して夕食を一緒にして話が弾んだ。ところがその夜くだんの華僑男の鼾で二人とも寝不足になってしまった。

 翌日彼女はY氏に一緒に個室を借りて移りましょうと提案してきた。このホステルは部屋数が少なく当日は個室が一つしか空いていなかったのである。その夜は夜半から強い風が吹き気温も急速に下がりY氏は寒気で眠れなくなってしまったという。夜半を過ぎると余りの寒さに耐えきれず「Yさんのベッドで一緒に寝てもいいですか」とおずおずとY氏のベッドに入ってきた。

 彼女は敬虔なカトリック教徒であり未婚の女子である。そんな愛おしい彼女の純粋な信仰心を守ってやりたいという崇高な精神と健康な男子としての当然の欲求の狭間で煩悶しながらも、Y氏は一線を越えれば彼女の心に生涯消えない重荷を背負わせることになると激しい衝動に耐えたという。彼女もY氏の心中の葛藤を察したのかなかなか寝付けないようであった。

 二人は数日間同じ部屋で過ごしたが、Y氏は初心貫徹、ついに最後の一線を越えることなく別れの朝が来た。冷たい雨の降りしきるバス・ターミナルで泣きじゃくる彼女と別れた。Y氏も泣いている彼女が愛おしくて生まれて初めて女性の前で泣いた。そしてバスが発車して彼女が見えなくなっても涙は止まらなかったという。

 私はこの話を聞いて思わず叫んでしまった。「Yさん、そりゃおかしいよ。あなたって人はストイック過ぎるよ。それじゃー高倉健の映画の世界だよ」。Y氏は言った「自分を信じている女の子に無責任なことはできませんよ」。まさに高倉健の世界であった。

⇒第3回に続く

  
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