2022年12月10日(土)

古都を感じる 奈良コレクション

2009年11月18日

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西山 厚 (にしやま・あつし)

帝塚山大学教授、前奈良国立博物館学芸部長

帝塚山大学文学部文化創造学科教授。前奈良国立博物館学芸部長。徳島県鳴門市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館では「女性と仏教」など数々の特別展を企画。主な著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)など。日本の歴史・思想・文学・美術を総合的に見つめ、書き、生きた言葉で語る活動を続けている。

 正応3年(1290)8月、叡尊は病に倒れた。すでに90歳になっていた。薬を服したが効果はなく、何も食べずに数日を過ごしたので、命もあやぶまれた。弟子たちは昼も夜も看病を続けた。

 24日になり、叡尊は沐浴(もくよく)を望んだ。弟子たちが心配するので腰から下を洗うにとどめたが、髪を剃り、新しい衣を身につけた。

 25日朝には、起きて心身を整え、お粥を少し食べた。そしてしばらく瞑想した。西大寺の上には紫雲がたなびき、もしやと駆けつけて来る人もあった。

 午後には、唐招提寺長老の証玄が訪ねてきた。叡尊が「一人で思い立ったことがこれほど広がるとは思わなかった、過分の利益である」と語ると、証玄は涙を流し、同席した人々も涙を流さない者はなかった。退席しようとする証玄に、叡尊は「来てくれてうれしかった」と声をかけた。

 この間、弟子の惣持は四王堂で『金光明最勝王経』を転読していた。叡尊の脈は次第に乱れ、臨終の時が近づいていた。

 午後6時ころ、叡尊は弟子に命じて身を起こさせた。そして大衣を掛けて結跏趺坐(けっかふざ)し、眼を閉じてじっと動かなかった。

 日没に至り、叡尊は、そのままの姿で、静かにこの世を去った。講経を終えた惣持はまさに四王堂を出ようとしていた。知らせを聞き、惣持は顔を覆って泣いた。

西大寺の奥の院に建つ叡尊のお墓

 27日、22人の弟子が、棺を乗せた輿(こし)をかついで西大寺の境内を巡り、荼毘所へ向かった。遺骸が荼毘に付される間、人々は真言や釈迦の名を唱え続けた。

 28日朝、荼毘所に来た僧が真っ先に見たものは、灰の上に咲いた一房の赤い花だった。遺骨は宝瓶に納めて荼毘所に埋め、その上に大きな五輪塔が建てられた。

 90年の生涯に、戒を授けた人はおよそ10万人。寺の新造と修造は合わせて700カ所に及んだ。浄土を願わず、生まれ変わっても、この穢土で、もっとも苦しむ人々を救いたいと願い続けた叡尊。

 かつて、私たちの国には、こんな人が本当にいたのだ。

 

■西大寺
住所:奈良市西大寺芝町1-1-5 (近鉄西大寺駅 徒歩3分)
電話:0742-45-4700
ウェブサイト:http://www.naranet.co.jp/saidaiji/
拝観時間:10月~5月 午前8時半~午後4時半、6月~9月 午前9時~午後4時半(年中無休)
*本堂・四王堂 午前8時半~午後4時半、聚宝館・愛染堂 午前8時半~午後5時半
拝館料:本堂は大人400円、学生350円、小人200円
*四王堂、聚宝館、愛染堂はそれぞれ別途拝観料がかかります。
上記ウェブサイトでご確認ください。

 *次回更新予定日は、11月26日(金)です。

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